藤井崇治
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藤井 崇治(ふじい そうじ、1894年7月1日 - 1975年3月18日)は、大正、昭和期の逓信官僚。電源開発総裁。位階は従三位。広島県深安郡山野村(現福山市山野町)出身。
- ^ 藤井は「佐久間ダムの建設によってわが国近代化への扉が開かれた」と述べている(藤井伸編 『藤井崇治』 1976年、150頁)。
- ^ これを手掛けたことは、やがて電源開発が石炭火力を全面的に引き受けさせられる運命に繋がった(藤井伸編 『藤井崇治』、134頁)。
- ^ 日本国内での交流電源、東日本50Hzと西日本60Hzの周波数の一本化問題は、藤井も逓信省電気局監理課長時代(1934年12月〜1937年5月)や日本発送電副総裁時代(1945年9月〜3月)に実現を目指したが至らず。結局、東日本は50Hzに西日本は60Hzに統一する方針を立て、当時まだ隋所に残っていた25サイクルとか40サイクルだけは廃止した。戦後はGHQ全能の時代で、特に初期の占領政策として日本の弱体化が至上方針だったようで、ついにサイクル一本化は陽の目を見なかった(藤井伸編 『藤井崇治』、20-21、26-28頁)。
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