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万脩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/06 06:57 UTC 版)

万 脩萬 脩、ばん しゅう、? - 26年)は、後漢の武将。字は君游(くんゆう)。扶風茂陵県(陝西省興平市)の人(『後漢書』列伝11・本伝)。光武帝の功臣であり、「雲台二十八将」の第26位に序せられる(『後漢書』列伝12)。

略歴

姓名 萬脩
時代 前漢時代 - 後漢時代
生没年 生年不詳 - 26年建武2年)
字・別号 君游(字)
本貫・出身地等 司隷扶風茂陵県
職官 信都令〔更始〕→偏将軍〔劉秀〕

→右将軍〔劉秀(後漢)〕

爵位・号等 造義侯〔劉秀(後漢)〕

→槐里侯〔後漢〕

陣営・所属等 更始帝光武帝(劉秀)
家族・一族 子:萬普

劉玄が皇帝(更始帝)となり王莽を降した頃、信都郡信都県の令となった。

更始2年(24年)、薊県から逃れてきた劉秀を信都太守の任光・都尉の李忠とともに迎え入れた。偏将軍を拝命し、造義侯に封ぜられた。王郎の本拠の邯鄲を破ると右将軍に任ぜられ、河北平定に功あった。

建武元年(25年)、大司馬呉漢に率いられた十一将の一人として、更始帝配下の朱鮪の守る洛陽を囲む[1]

建武2年(26年)、造義侯に代えて槐里侯に封ぜられ、堅鐔と共に南陽平定に参加したが、にて周囲から孤絶し、病んで陣没した。

壬辰倭乱の時に明朝の援軍として李氏朝鮮に派兵され、朝鮮氏族江華万氏の始祖となった万世徳は、万修の子孫である。

脚注

  1. ^ 後漢書岑彭伝より



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