英蔵の死去と経営陣の内紛と不正融資
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 05:02 UTC 版)
「平和相互銀行」の記事における「英蔵の死去と経営陣の内紛と不正融資」の解説
1979年に創業者の英蔵会長が死亡すると、グループの後継の座を巡って英蔵の弟の小宮山精一社長、娘婿の池田勉専務、長男の小宮山英一常務との間で内紛が勃発。"四天王"を排除して実権を握ろうとした池田に対し、英一は元東京地検特捜部検事で監査役の伊坂重昭の後ろ盾を得て池田の失脚に成功する。この過程で精一社長も会長へと棚上げされて、やがて会長も辞任に追い込まれる。 池田を失脚させて一時は経営の実権を握るかに見えた英一だったが、やがて伊坂や稲井田隆社長らを中心とする新経営陣との確執が表面化、結果として英一は常務を解任される。この後、1982年の不動産融資事件や翌年の馬毛島事件、更には1985年の金屏風事件などによって、平和相銀の経営はますます悪化した。 詳細は「平和相互銀行事件」を参照
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