はなおか‐じけん〔はなをか‐〕【花岡事件】
花岡事件
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花岡事件(はなおかじけん)は、1945年6月30日、国策により中国から秋田県北秋田郡花岡町(現・大館市)へ強制連行され鹿島組 (現鹿島建設) の花岡出張所に収容されていた 986人の中国人労働者が、過酷な労働や虐待による死者の続出に耐えかね、一斉蜂起、逃亡した事件。警察や憲兵隊により鎮圧・逮捕され、中国人指導者は有罪判決、鹿島組現場責任者らも終戦後、戦犯容疑で重刑を宣告 (のち減刑) された。事件後の拷問も含め、中国人労働者のうち、45年12月までに400人以上が死亡した。
- ^ ブリタニカ国際大百科事典
- ^ “秋田の「花岡事件」とは?”. しんぶん赤旗. 日本共産党. 2022年11月3日閲覧。
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- ^ “【国立国会図書館リサーチナビ「華人労務者内地移入ニ関スル件」】”. 国立国会図書館 (2010年11月25日). 2012年7月18日閲覧。
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- ^ 外務省作成『花岡鉱山朝鮮人事件に関し資料提供の件』1955年1月11日・同和鉱業花岡鉱業所作成『七ツ館抗陥没災害報告書』1954年12月23日
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- ^ 野添憲治『花岡事件を見た20人の証言』お茶の水書房1993年/鹿島花岡中国人強制連行損害賠償請求事件「訴状」1995年6月28日
- ^ 石飛仁『中国人強制連行の記録』太平出版社1973年
- ^ “ATROCITIES”シンプソン覚書/田中宏ほか『資料中国人強制連行』明石書店1987年
- ^ “日本で中国人は何をされたか”. 潮. (5 1972).
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- ^ 「鹿島組華人労務者暴動状況ノ件」米国公立公文書館(NARA)(昭20.7.20)/花岡問題全国連絡会『暗闇の記録』1991年
- ^ 赤津 益造『花岡暴動 中国人強制連行の記録』三省堂〈三省堂新書〉、1973年1月1日。
- ^ 笹本妙子「仙台第7分所(花岡)」『捕虜収容所調査レポート』POW研究会[2]
- ^ 花岡研究会編『花岡事件横浜法廷記録』2006年3月
- ^ 米国公立公文書館(NARA)RG331,IPS,Box7
- ^ 米国公立公文書館(NARA)RG153,War Crimes Branch,Military Commission Orders,Orders No.33~5,759~63
- ^ 赤津益造『花岡暴動 中國人強制連行の記録』(株)三省堂、1973年1月15日、119-120頁。
- ^ 野添憲治『花岡事件を追う』お茶の水書房1996年
- ^ 石飛仁『ドキュメント悪魔の証明』経林書房1987年/劉智渠『花岡事件』岩波書店1995年・解説田中宏 P183
- ^ 内田雅敏『元徴用工 和解への道』ちくま新書2020年
- ^ 野添憲治『花岡を忘れるな 耿諄の生涯』社会評論社2014年/杉原達『中国人強制連行』岩波新書2002年
- ^ この間の経緯について、福田昭典「鹿島建設 強制連行の企業責任認める-一転、歴史的先鞭つけ補償実現」『日本企業の戦争犯罪』創史社154-55頁、新美隆「花岡事件和解訴訟研究のために」『専修大学社会科学研究所月報』459号2001年9月20日16-17頁参照。
- ^ 「企業責任認め謝罪 鹿島建設が初めて中国人生存者らに」毎日新聞1990年7月6日付
- ^ 『1990年「共同発表」』強制連行を考える会ホームページ>>[3]
- ^ 新美隆『国家の責任と人権』桐原書店2006年「中国人側からすると、この企業は自分たちが死ぬのを待っている、誠意がないと」「これ以上もう侮辱されるのはいやだ、泣き寝入りはしない、いわば闘争を継続するという意味での交渉打ち切り」
- ^ a b 有光健、内海愛子、高木喜考、岡本厚「『花岡和解』を検証する」『世界』2009年9月号
- ^ 新美隆「花岡事件和解研究のために」『専修大学社会科学研究所月報』459号P28
- ^ 新美隆「花岡事件和解研究のために」『専修大学社会科学研究所月報』459号P31
- ^ 和解成立にあたって裁判所が表明した所感(「秋田・花岡事件に学ぶ会」サイトより)[4]
- ^ 「半世紀ぶり尊厳戻った 全面決着に沸く原告 亡き夫や仲間、喜んでいる」読売新聞2000年11月30日
- ^ 「社説『戦後補償訴訟としては画期的な決着だ』」毎日新聞2000年11月30日
- ^ 「『和解』の道程・上」毎日新聞2020年6月29日
- ^ 私の戦後処理を問う会ホームページ>>[5]
- ^ 旻子(訳・山邉悠喜子)『尊厳 -半世紀を歩いた「花岡事件」-』日本僑報社
- ^ 「謝罪なき和解に無念の中国人原告 -- 花岡事件が残した問題」毎日新聞 2007年6月19日号夕刊
- ^ 野田正彰「虜囚の記憶を贈る 第六回 受難者を絶望させた和解]『世界』2008年2月号>
- ^ 鄭楽静「日本人による中国人戦後補償訴訟支援研究ー強制連行・強制労働問題を中心にー」京都大学2008年
- ^ 新村正人「戦後補償管見 記憶の承継と和解をめぐって」『世界』2019年2月号/NHK秋田放送局2015年6月30日放送
- ^ 李恩民「日中歴史和解プロセスの基礎的研究―花岡和解を事例に―」『2009年度大学研究助成 アジア歴史研究報告書』財団法人JFE21世紀財団編 69~80 2010年3月[6]
- ^ 内田雅敏「花岡和解から西松和解へ」『立命館法学』2010年5・6号
- ^ 三菱マテリアル「中国人元労働者との和解について」声明>>[7]
- ^ 「社説 三菱マテリアル和解」『中国新聞』2016年6月3日
- ^ 「社説 三菱マテリアル 歴史の責任果たす和解」『毎日新聞』2016年6月3日
- ^ 内田雅敏「韓国大法院徴用工判決に思うー歴史問題の解決に求められる加害者の慎みと節度」『月刊社会民主』2019年3月号[8]
- ^ 王小燕「心の和解めざす『花岡事件』の大館市」>>[9]
- ^ 「『和解』の道程・下」毎日新聞2020年7月1日
- ^ 『花岡平和記念館』パネル冊子「あとがき」・NPO花岡平和記念館
- ^ NPO法人ポータルサイト「花岡平和記念会」『各年度事業報告書』>>[10]
- ^ “中国人「強制連行」訴訟 請求を棄却 大阪地裁”. 産経新聞. (2019年1月29日)
- ^ “花岡事件訴訟で賠償請求など棄却 大阪地裁判決”. 毎日新聞. (2019年1月29日)
- ^ “中国人強制連行国賠訴訟「生存者証言には意義」大阪地裁、請求を棄却”. 毎日新聞. (2019年1月30日)
- ^ “花岡事件訴訟、2審も元労働者側の請求棄却 日本の強制連行関与認める 大阪高裁”. 毎日新聞. (2020年2月4日)
- ^ “「花岡事件」国家賠償訴訟 中国人の元労働者らの原告 敗訴確定”. NHKニュース. (2021年3月26日)
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