高場乱とは? わかりやすく解説

高場乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 17:53 UTC 版)

高場 乱(たかば おさむ、天保2年10月8日1831年11月11日)- 明治24年(1891年)3月31日[1])は、江戸時代末期の女性儒学者で、眼科医、教育者。筑前国博多の人[2]幼名はらん[3]、のち養命。は元陽のち乱。通称は小刀。号は仙芝[4]、空華堂[3]頭山満ら多くの国士を育てた[5]。通称は人参畑の先生[3]


注釈

  1. ^ 前例として、福岡藩の支藩にあたる秋月藩には原采蘋という男装帯刀の女性儒学者が既に存在していた。
  2. ^ 来島恒喜に関する図書館のレファレンス事例がある(さいたま市立中央図書館[25]、神奈川県立図書館[26])。
  3. ^ 「匹夫の勇」[27]とは思慮浅く、ただ血気にはやって行動したがるだけの勇気。
  4. ^ 『日本書紀』の「儺河」の項は神功皇后が用水路を掘らせて、儺の河(那珂川の古称)の水を神田(しんでん)に引いたと伝える(『筑前国続風土記』による[35][36])。

出典

  1. ^ 福岡地方史研究会 1995, pp. 236, 253
  2. ^ 『日本女性人名辞典』 1993, p. 633
  3. ^ a b c d 「高場乱」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社、2015年9月。電子版。
  4. ^ a b c アクロス福岡文化誌編纂委員会 2015, p. 48
  5. ^ 海鳥社 2001, p. 22
  6. ^ 福岡地方史研究会 1995, p. 237
  7. ^ 原田 1999, p. 160
  8. ^ 檀豊隆(コラムニスト) (2013年1月8日). 博多ガイドの会: “『高場乱(たかば おさむ)の「人参畑塾跡」発見』”. 博多の魅力. 「博多の魅力発信会議」事務局(博多区役所企画振興課気付). 2023年8月2日閲覧。
  9. ^ 高野龍也. “その3 人参畑塾(第4章 筑前玄洋社)”. fmfukuoka.co.jp. - 絆よ、悠久なれ -孫文と九州人-. FM FUKUOKA. 2023年7月31日閲覧。
  10. ^ 石瀧 1997, 「高場乱門下生の群像」
  11. ^ 榊原 2014, pp. 107-, 「5 荒くれ反骨男たちを鍛える興志塾塾頭 高場乱(1831~1891)」
  12. ^ 石瀧 1997, 「Ⅲ 高場乱小伝 玄洋社を育てた女傑」
  13. ^ 石瀧 1997, 「補論 玄洋社成立年をめぐる最近の研究状況 §2 高場乱の書簡
  14. ^ 石瀧 1997, 「資料編:玄洋社社員名簿」
  15. ^ 玄洋社社史編纂会 1917, pp. 711–731, 「最近年譜(嘉永元年より大正5年迄)」
  16. ^ 石瀧 1997, 「資料編:箱田六輔書簡および玄洋社設置届付属文書等写」
  17. ^ 玄洋社社史編纂会 1917, pp. 103, 「第7 福岡志士の活動」
  18. ^ 玄洋社社史編纂会 1917, pp. 122, 「第9 福岡の変」
  19. ^ 玄洋社社史編纂会 1917, pp. 147, 「第10 高場乱と福岡志士」
  20. ^ 的野 1913, p. 24, 「第4 高場塾と恒喜」
  21. ^ 的野 1913, pp. 47-, 「第7 向陽社時代の恒喜」
  22. ^ 石瀧 2010, p. 38
  23. ^ 吉川弘文館 2011, pp. 322–323, 「大隈重信暗殺未遂事件」
  24. ^ 吉川弘文館 2011, p. 809
  25. ^ 国立国会図書館『明治時代、虎ノ門付近で起きた事件で、来島恒喜(クルシマ,ツネキ)という人物が大隈重信に爆弾を投げつけ...』。NDLJP:1000134161 
  26. ^ 神奈川県立図書館 (2019年8月3日). “大隈重信の義足について調べたい。また・なぜ義足になったのか・爆弾テロのようだが爆弾を投げた人の背景についても調べたい。”. 国立国会図書館サーチ. 2023年7月31日閲覧。
  27. ^ 『故事ことわざ辞典』 1956, pp. コマ番号0001.jp2
  28. ^ 的野 1913, pp. 262-, 「第25 恒喜の葬儀、及、墳墓」
  29. ^ 藤原書店 1997, p. 235
  30. ^ 『講談社版日本の文化地理: 福岡・大分・佐賀・長崎』講談社、1968年、60頁。 
  31. ^ a b (終了報告)高場乱生誕190年記念事業銅像建立プロジェクト完了報告 / 人参畑から未来を見据えた女傑 | 福岡の誇る偉人 高場乱の軌跡を後世へ”. クラウドファンディング READYFOR (2023年4月2日). 2023年7月31日閲覧。
  32. ^ 大久保昭彦「「玄洋社」設立に大きな影響 生涯男装通した高場乱の銅像建立へ」『西日本新聞(西日本新聞me)』西日本新聞社、2023年2月14日。2023年7月31日閲覧。ウェブサイトは有料購読性。
  33. ^ (3)地名及史蹟の研究, p. 110.
  34. ^ 甲斐亮典 監修 (2008年3月). “いわれ事典2(川と橋の名前大淀川・小丸川流域)”. 宮崎河川国道事務所. 105. 東岳(ひがしだけ)川 §大井手(おおいで)橋. 国土交通省九州地方整備局. 2023年8月2日閲覧。
  35. ^ 吉田 1907, pp. 1496上段(コマ番号756.js2右)
  36. ^ 『福岡市の河川』 2022, p. 45
  37. ^ 神田紅ヒストリー”. 神田紅 OfficialWebSite. 2023年7月31日閲覧。


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