脚本と配役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 01:47 UTC 版)
作家フレデリック・ラファエルと彼の妻は恋人同士の頃から、何度も南フランスへ休暇旅行に出かけていた。ある時、車を走らせながら、過去の自分に追い付いて追い越せたら面白いだろうなと考えた。映画の台本のようだと思ったラファエルは、スタンリー・ドーネンにこの話を持ち込み、最終的には2人でオードリー・ヘプバーンに会いに行った。はじめヘプバーンは1966年に結婚12年で夫婦間がギクシャクしており、1960年生まれの子供が一人いる、という設定が自分の状況にそっくりだということ、不倫や水着やベッドシーンがあるということで、非常に不安であったという。しかし台本を読んで、夫メル・ファーラーの後押しもあり、最終的にはゴーサインを出した。「10年前なら、いえ5年前でも、この脚本が私のところへ持ち込まれるとは考えられなかったでしょう」とヘプバーンは語っている。この映画はヘプバーンにとって50年代への決別と、スウィングする60年代への大胆な再出発となった。 夫役には始めポール・ニューマンにオファーがなされたが、ニューマンはこれは監督のための映画であり、スターのための映画ではないとして断ってきた。マイケル・ケインも駄目であったが、のちにケインは『いつも2人で』は出演できなかったのを後悔している唯一の作品だと語っている。アルバート・フィニーは役を引き受けたことについて、「第一に脚本が素晴らしかったことです。そしてもう一つの理由はもちろんオードリー・ヘプバーンと共演できるからですよ。」と答えている。ヘプバーンは『おしゃれ泥棒』で共演したピーター・オトゥールからフィニーの話を何度も聞いていた。フィニーとオトゥールは同じロンドンの王立演劇アカデミーで学び、フィニーが舞台のために断った『アラビアのロレンス』の主役をオトゥールが演じていた。
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