背面裸婦像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 03:10 UTC 版)
「ユピテルとイオ (コレッジョ)」の記事における「背面裸婦像」の解説
イオに見られる裸婦の背面像は古代のレリーフに由来するもので、ルネサンス以降しばしば用いられている。イメージの源泉としては紀元前1世紀頃の方形祭壇アラ・グリマーニ(Ara Grimani)の背面裸婦像「サテュロスとニンフ」(前1世紀頃)が指摘されている。ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオは早くも1510年頃に『田園の奏楽』(Concerto campestre)でこのモチーフを用いており、コレッジョはラファエロ・サンツィオのフレスコ画『クピドとプシュケの婚礼の祝宴』(Le nozze di Amore e Psiche, 1517年)に次いでこれを用いている。その後ティツィアーノは再び『ヴィーナスとアドニス』(Venere e Adone)や『ディアナとカリスト』(Diana e Callisto)などに多用している。
※この「背面裸婦像」の解説は、「ユピテルとイオ (コレッジョ)」の解説の一部です。
「背面裸婦像」を含む「ユピテルとイオ (コレッジョ)」の記事については、「ユピテルとイオ (コレッジョ)」の概要を参照ください。
- 背面裸婦像のページへのリンク