練馬一家5人殺害事件とは? わかりやすく解説

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練馬一家5人殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 03:08 UTC 版)

練馬一家5人殺害事件(ねりまいっかごにんさつがいじけん)は、1983年昭和58年)6月27日東京都練馬区大泉学園町六丁目で発生した殺人死体損壊バラバラ殺人)事件[6]バブル景気以前に不動産競売の取引をめぐるトラブルから、不動産鑑定士の男が幼児を含む一家5人を惨殺した上、隠匿のため死体損壊に及んだ本事件は、『週刊新潮』2004年9月2日号(新潮社)にて「その後のバブル時代にも多発した不動産取引関連トラブルの先駆け的な事案となった」と評された[7]


注釈

  1. ^ 千葉県習志野市、現在は市原市に移転し市原刑務所
  2. ^ 『死刑廃止の会』は当時、月1回の面会日を決めて東京拘置所へ集団で面会に行っていた[66]
  3. ^ その弁護人は公判途中で死去[67]
  4. ^ 澤地和夫 (2006) はその理由について「東京拘置所側は、死刑囚(および死刑判決を受け上訴中の被告人)と支援者との面会は、死刑囚の心情の安定を乱す」という理由でそれを避けたがっており、面会していた被告人・死刑囚たちに面会を謝絶するよう説得していた。それが原因なのかどうかはわからないが、Aは控訴審の際に突然面会を拒否するようになり、死刑執行まで再びその支援者と面会することはなかった。Aのような人物は拘置所当局の言いなりになりがちだが、自分は同じように面会を拒否するよう拘置所側から説得されても『大きなお世話だ』と突っぱねている」と述べている[68]
  5. ^ 澤地和夫 (2006) は「Aは獄中で拘置所職員に対し、従順どころか尋常ではないほど『ゴマすり』という言葉が似合うような振る舞いをしていた。また、在監者の権利であるはずの戸外運動をした際には刑務官に対し、獄中仲間どころか拘置所職員まで辟易するほどだった。自分も当時20年近く獄中生活を送っていたが、刑務官に対しわざわざそのような礼儀正しく大声で挨拶をする囚人など見たことがなかった」と述べている[69]
  6. ^ 同日、名古屋保険金殺人事件の死刑囚も名古屋拘置所で死刑を執行された[10][11]。死刑執行時間は8時台(朝食後間もなく)で、それまでの死刑執行(9時代・10時台)より早かった[66]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 『中日新聞』1983年6月29日朝刊第12版第一社会面23面「東京の一家5人惨殺 浴槽血の海、バラバラ死体 1億円の土地で争い 『立ち退かぬ』と不動産屋 長女は難逃れる 林間学校で長野へ」「夜通しで切り刻む」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn 東京地裁判決(1985-12-20)
  3. ^ a b c 最高裁第一小法廷判決(1996-11-14)
  4. ^ a b c 『読売新聞』1983年7月20日東京朝刊第14版第一社会面23面「一家五人惨殺 『A』を起訴」
  5. ^ a b c d 『読売新聞』1983年10月22日東京朝刊第14版第二社会面22面「起訴事実を認める 一家5人殺しの『A』」
  6. ^ 中日新聞』1983年6月28日夕刊E版第一社会面9面「東京・練馬 一家5人殺す 不動産業者を逮捕」
  7. ^ a b c d e f g 週刊新潮(2004-09-02)
  8. ^ a b 東京高裁判決(1990-01-23)
  9. ^ a b c 大下英治 1986, pp. 216–217.
  10. ^ a b c d e 東京新聞』2001年12月27日夕刊1面「練馬の一家5人殺害事件 A死刑囚の刑執行 名古屋でも1人」
  11. ^ a b c d e 『中日新聞』2001年12月27日夕刊1面「××死刑囚の刑執行 愛知・京都の保険金殺人 東京でも1人」
  12. ^ a b c d e f g 大下英治 1986, p. 221.
  13. ^ a b c d e f g h i j k 『中日新聞』1983年6月29日朝刊第12版第二社会面22面「東京の一家5人惨殺 犯人・A 36年、財産争いで実弟をメッタ切り」
  14. ^ a b c 大下英治 1986, pp. 217–218.
  15. ^ a b c d 秋田魁新報』1961年9月11日朝刊第2版社会面7頁「秋田市 兄が弟を刺して自首 A産業 財産争いからみ 出刃でメッタ切り重体」
  16. ^ 市民市場の歴史”. 秋田市民市場. 2019年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月8日閲覧。
  17. ^ 大下英治 1986, pp. 218–219.
  18. ^ a b c d e f 龍田恵子 1995, pp. 112–113.
  19. ^ a b c 大下英治 1986, p. 220.
  20. ^ 大下英治 1986, pp. 220–221.
  21. ^ 大下英治 1986, pp. 221–222.
  22. ^ a b c 『中日新聞』1983年7月9日夕刊E版第二社会面10面「一家五人惨殺事件 死体処理用“アジト”も A、完全犯罪狙う?」
  23. ^ a b c d e f 大下英治 1986, p. 222.
  24. ^ a b c d e 龍田恵子 1995, pp. 114–115.
  25. ^ 大下英治 1986, p. 223.
  26. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』1983年6月29日東京朝刊第14版1面「練馬 一家5人を惨殺 マサカリで殴り体切断 不動産業者逮捕 立ち退き話もつれ」
  27. ^ a b c 龍田恵子 1995, pp. 115–116.
  28. ^ a b c d e 大下英治 1986, p. 228.
  29. ^ ベルデ武石(練馬区立武石少年自然の家) 練馬区
  30. ^ a b 『中日新聞』1983年6月29日朝刊第12版第二社会面22面「東京の一家5人惨殺 一家殺し 残された◯◯ちゃん 長野で惨劇知らず 帰っても家族はいない」
  31. ^ a b c d e f 『日本経済新聞』1983年7月8日夕刊3面「東京・練馬の一家惨殺事件--狂気呼んだ不動産トラブル(ニュースの周辺)」
  32. ^ 上條昌史 2006, p. 60.
  33. ^ a b 『朝日新聞』1983年7月1日東京夕刊第4版第二社会面18面「一家惨殺の△△さん方 不動産業者が仮登記手続き」
  34. ^ a b c d e f g h 『毎日新聞』1987年10月15日東京夕刊第一社会面13面「殺人事件現場の土地・建物めぐりまたトラブル」
  35. ^ a b c 『朝日新聞』1983年7月9日東京夕刊第4版第一社会面11面「5人惨殺のA マンション借り運転練習 死体遺棄の準備」
  36. ^ a b c d e f 『朝日新聞』1983年7月10日東京朝刊第14版第一社会面23面「一家惨殺 計画、異常な綿密さ 親と子、凶器使い分け A 数回見張り在宅確認」
  37. ^ a b c 『中日新聞』1983年6月30日夕刊E版第一社会面11面「一家惨殺のA ひき肉機も使う 富士山ろくへ投棄計画」
  38. ^ a b c d 『朝日新聞』1983年7月2日東京朝刊第14版第一社会面23面「上がり込んだA 犯行前、一家に恨みぶちまけ」
  39. ^ a b c d e 『朝日新聞』1983年7月20日東京夕刊第4版第一社会面11面「ニュース三面鏡 五人惨殺、空回りした完全犯罪 追及に『男の決意』残忍な殺し方 (三女の実名)ちゃんにはためらい」
  40. ^ a b c 大下英治 1986, p. 239.
  41. ^ a b 大下英治 1986, p. 238.
  42. ^ a b 大下英治 1986, pp. 238–239.
  43. ^ 『中日新聞』1983年6月29日夕刊E版第二社会面10面「一家惨殺のAが供述 立ち退かねば破産宣告の恐れ」
  44. ^ a b c 上條昌史 2006, p. 61.
  45. ^ 上條昌史 2006, p. 59.
  46. ^ 『中日新聞』1983年7月20日朝刊第12版第二社会面18面「殺人などで起訴 一家5人惨殺のA」
  47. ^ 『毎日新聞』1984年7月18日東京朝刊第14版第一社会面19面「練馬の一家5人惨殺 Aを精神鑑定」
  48. ^ 村野薫 2002, p. 554.
  49. ^ a b 『読売新聞』1985年10月18日東京夕刊第4版第二社会面18面「練馬の一家五人惨殺事件 A被告に死刑求刑」
  50. ^ a b 朝日新聞』1985年10月18日夕刊第二社会面18面「練馬の一家5人殺し、Aに死刑を求刑」
  51. ^ 『中日新聞』1985年10月18日夕刊E版第二社会面8面「東京のの一家5人殺し Aに死刑求刑」
  52. ^ 『読売新聞』1985年11月26日東京朝刊第14版第二社会面22面「練馬の五人殺し結審、判決は来月20日」
  53. ^ a b 『朝日新聞』1985年11月26日東京朝刊第14版第二社会面22面「ニュース三面鏡 『開かれた競売』裏目 一家殺し犯Aの誤算 にわか鑑定士に難物 明け渡しもつれて凶行」
  54. ^ a b 『朝日新聞』1985年12月8日東京朝刊第14版第一社会面23面「街 法廷の闘士、がんに散る」
  55. ^ a b c 『読売新聞』1985年12月20日東京夕刊第4版第一社会面15面「練馬の一家5人惨殺 A被告に死刑判決 東京地裁 “心神耗弱”を認めず」
  56. ^ 『朝日新聞』1985年12月20日夕刊第一社会面13面「練馬の一家5人惨殺 Aに死刑判決 東京地裁」
  57. ^ a b 『中日新聞』1985年12月20日夕刊E版第一社会面13面「一家5人惨殺のAに死刑 東京地裁判決 『犯行動機は独善的』 ひとり残された長女が傍聴」
  58. ^ a b c d e 『日本経済新聞』1985年12月20日夕刊第一社会面13面「練馬の一家5人殺し、Aに死刑判決 『人間の情ない』--東京地裁」
  59. ^ 『読売新聞』1985年12月27日東京朝刊第14版第二社会面18面「5人殺し、A被告控訴」
  60. ^ a b c 『読売新聞』1990年1月23日東京夕刊第二社会面14面「『残虐』と死刑支持 東京・練馬の一家惨殺 A被告の控訴棄却」
  61. ^ 『朝日新聞』1990年1月23日夕刊第一社会面13面「一家5人殺し、2審でも死刑 東京高裁」
  62. ^ 『中日新聞』1990年1月23日夕刊E版第二社会面12面「一家5人殺し2審も死刑」
  63. ^ a b c d 毎日新聞』1990年1月23日東京夕刊第二社会面10面「練馬の一家5人殺し、二審も死刑判決--東京高裁控訴棄却」
  64. ^ 『朝日新聞』1996年11月15日朝刊第一社会面39面「一家五人殺害のA被告、死刑確定へ 『凶悪』と上告棄却」
  65. ^ a b 『毎日新聞』1996年11月15日東京朝刊第一社会面31面「東京・練馬区の一家5人殺害事件、A被告の死刑確定--最高裁が判決」(記者:山科武司)
  66. ^ a b c 年報・死刑廃止 2002, p. 142.
  67. ^ a b c 年報・死刑廃止 2002, p. 143.
  68. ^ 澤地和夫 2006, pp. 138–140.
  69. ^ 澤地和夫 2006, pp. 141–143.
  70. ^ 澤地和夫 2006, pp. 137–144.
  71. ^ 『読売新聞』2001年12月27日東京夕刊1面「2人に死刑執行 東京・練馬の一家殺害犯ら、昨年11月以来/法務省」
  72. ^ a b c d 『朝日新聞』1983年6月30日東京朝刊第14版第一社会面23面「一家5人惨殺 『交通事故で死んだ』 帰った長女に親類ら涙」
  73. ^ a b c 『中日新聞』1983年6月30日朝刊第12版第二社会面22面「東京の一家惨殺 ◯◯ちゃん叔父宅へ 『父さんら交通事故で死んだ…』 説明聞き、けげんな顔」
  74. ^ a b 『読売新聞』1983年7月2日東京朝刊第14版第一社会面23面「一家五人の悲劇 ◯◯ちゃんは真相を知った 『えっ』と絶句、大粒の涙 葬儀の前に合掌の席で」
  75. ^ 『中日新聞』1983年7月7日朝刊第12版第一社会面23面「東京の一家惨殺、◯◯ちゃん再出発 伯父さんの養女に」
  76. ^ 『中日新聞』1983年7月11日夕刊E版第一社会面7面「一家惨殺 ◯◯ちゃん2週間ぶり登校 新しい友達よろしくネ」
  77. ^ 『朝日新聞』1983年7月7日東京朝刊第14版第一社会面23面「友だちになろう 遊びにおいで ◯◯さんに激励相次ぐ 小学生ら手紙百通 級友からは指人形・電話 転校、おじの養女に」





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