網走番外地_(東映)とは? わかりやすく解説

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網走番外地 (東映)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 14:26 UTC 版)

網走番外地』(あばしりばんがいち)は、1965年4月18日に劇場公開された日本映画。製作・配給:東映。監督:石井輝男高倉健主演による「網走番外地シリーズ」の第1作。モノクロシネマスコープ(2.35:1)、92分。映倫番号:13875[1]


注釈

  1. ^ 網走番外地 - 日本映画製作者連盟
  2. ^ 網走番外地(1965) - KINENOTE
  3. ^ a b c d e #健さんを探して、94-95頁。
  4. ^ a b c コラム『日本映画の玉(ギョク)』 三國連太郎の企画 Text by 木全公彦 p2三國連太郎の企画p3三國連太郎の企画p4
  5. ^ a b 東映キネマ旬報 2010年春号 Vol.14 -11頁
  6. ^ a b c d 「ズームアップ・ミスター日本映画 1980年陽春を連打 『動乱』&『遙かなる山の呼び声』 フルコース 高倉健 PART3 石井輝男インタビュー スーパースター高倉健はこうして生まれた」『バラエティ』1980年3月号、角川書店、66-67頁。 
  7. ^ a b c d e f g #任侠青春130-132頁
  8. ^ a b #任侠青春45-47頁
  9. ^ a b c #健さんを探して、95-96頁。
  10. ^ a b c d e #風雲69-72頁
  11. ^ #映画魂、152頁
  12. ^ a b #身終い、3–9、18–30頁
  13. ^ a b c d e f g h i j #佐野、156–162頁、『石井輝男の俳優論』。
  14. ^ #キネ旬20151、60頁、坪内祐三『高倉健と丹波哲郎』。
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  17. ^ a b c d e f g h 「タウン プロ野球選手にはかなわない ―おあずけくったギャラ値上げ要求―」『週刊新潮』1965年3月17日号、新潮社、17頁。 
  18. ^ a b c d e 「ポスト 日本映画 『時限爆弾となった高倉、欣也』 会社を悩ますスターの出演料値上げ」『週刊明星』1965年3月21日号、集英社、86頁。 
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  20. ^ 「石原裕次郎、、平尾昌晃ピストル」『週刊サンケイ』、産業経済新聞社、1965年3月8日号、20 - 21頁。 
  21. ^ a b c d e f 「テレビパトロール トボケたロカビリアン 劇のセリフを地でいった平尾昌晃」『週刊文春』、文藝春秋、1965年3月8日号、13頁。 
  22. ^ a b c 「アフレコ」『週刊サンケイ』、産業経済新聞社、1965年3月15日号、55頁。 
  23. ^ 内藤誠『映画の不良性感度』小学館小学館新書〉、2022年、40頁。ISBN 9784098254231 
  24. ^ 映画、テレビドラマなどの名場面生む北海道東部の絶景鉄道・釧網線の世界遺産への登録を
  25. ^ 内藤誠『映画の不良性感度』小学館〈小学館新書〉、2022年、131頁。ISBN 9784098254231 
  26. ^ 荻昌弘「週刊試写室 日本人の愛と情と業の悲哀 冷飯とおさんとちゃん」『週刊朝日』1965年4月23日号、朝日新聞社、104-105頁。 由原木七郎「由原木七郎の日本映画スケッチ(82) (秘)エピソードでつづるあの男優この女優 萬屋錦之介 その四 東映"城"との対決」『週刊明星』1979年5月13日号、集英社、168-167頁。 
  27. ^ FB編集同人編「追悼三村敬三 【聞き書き】『東映京撮が変わった頃―巨匠から映画村へ』 三村敬三インタビュー 〔聞き手 梶川忠・上倉敬庸〕」『FB 映画研究誌』第16号 2001年冬、行路社、161-165頁。 井沢淳・高橋英一・日高真也・白井隆三・三堤有樹・小倉友昭「TOPIC JOURNAL」『キネマ旬報』1965年7月上旬号、キネマ旬報社、42-43頁。 
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  29. ^ a b c 井沢淳・高橋英一・日高真也・白井隆三・三堤有樹・小倉友昭「TOPIC JOURNAL 東映・文芸路線廃止のあと」『キネマ旬報』1965年5月下旬号、キネマ旬報社、21頁。 
  30. ^ a b c 藤木TDC『アウトロー女優の挽歌 スケバン映画とその時代』洋泉社映画秘宝〉、2018年、14-17頁。ISBN 978-4-8003-1574-8 
  31. ^ 『宇宙船 vol98』(朝日ソノラマ)「御本人コメント付 石井輝男監督映画作品ガイド」
  32. ^ 「それにしても残酷ないじめ方だった(笑)」三國連太郎が明かした…高倉健が受けていた激しすぎる“しごき”の実態 『高倉健、その愛。』より #2”. 文春オンライン. p. 4 (2021年11月10日). 2022年9月26日閲覧。
  33. ^ 監獄秘話 第11話 番外地の生みの親”. 博物館 網走監獄. 2023年4月24日閲覧。
  34. ^ #ぴあシネマ69-71頁
  35. ^ 「網走番外地」シリーズ - 日本映画製作者連盟
  36. ^ 「新網走番外地」シリーズ - 日本映画製作者連盟
  37. ^ a b c #健さんを探して、179-180頁。
  38. ^ a b 高倉健×降旗康男「あなたへ」公開記念特集 page=3- KINENOTE
  39. ^ a b c #悔いなき、406-423頁
  40. ^ a b 「ヤクザ路線さまさまの東映」『週刊朝日』1965年12月17日号、朝日新聞社、103頁。 
  41. ^ a b c #健さんを探して、114頁。
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  44. ^ 沢辺有司『悪趣味邦画劇場〈映画秘宝2〉』洋泉社、1995年、276-280頁。ISBN 978-4896911701 
  45. ^ 『私と東映』 x 中島貞夫監督 (第5回 / 全5回)
  46. ^ a b 杉作J太郎・植地毅(編著)「石井輝男インタビュー」『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、1999年、22-25,36-37,220-221,232-237頁。ISBN 4-19-861016-9 
  47. ^ 暴力とセックスはあたりまえ!ヤクザ、スケバン、ハレンチ!「東映不良性感度映画」を特集-映画秘宝
  48. ^ a b 新文芸坐:映画チラシサイト、東映ビデオオンラインショップ / 徳川女系図(成人指定)
  49. ^ 二階堂卓也『ピンク映画史』彩流社、2014年、156頁。ISBN 978-4-7791-2029-9 
  50. ^ a b 「東映不良性感度映画の世界」『映画秘宝』、洋泉社、2011年8月号、44-45、53。 
  51. ^ #映画魂、521-524頁
  52. ^ 映画『石井輝男映画魂』 - シネマトゥデイ
  53. ^ 佐藤忠男 編『日本の映画人:日本映画の創造者たち』日外アソシエーツ、2007年、112頁。ISBN 978-4-8169-2035-6 
  54. ^ 歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕東映任俠映画を生み出した名監督・名プロデューサーたち - 隔週刊 東映任侠映画傑作DVDコレクション - DeAGOSTINI東映の岡田茂名誉会長 死去 | NHK「かぶん」ブログ:NHK鶴田浩二、健さん、文太育てた岡田茂さん - 日刊スポーツNBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】東映キネマ旬報 2011年夏号 Vol.17 | 電子ブックポータルサイト 4-7頁
  55. ^ a b c 「《話題の裏窓》 "お家騒動"が一見落着した東映 岡田社長と俊藤氏の和解は果たして本物か」『実業界』1973年3月号、株式会社実業界、82-83頁。 
  56. ^ a b 「NEWS MAKERS 球団を手放した東映が次に狙う戦略」『週刊ポスト』1973年3月2日号、小学館、42頁。 
  57. ^ 「映画界の動き 東映の73年度経営方針」『キネマ旬報』1973年2月下旬号、キネマ旬報社、163頁。 
  58. ^ 滝沢一「日本映画四社首脳に直言する ―企画・製作面から見た四社の現状と問題点―」『月刊ビデオ&ミュージック』1974年11月号、東京映音、18-19頁。 
  59. ^ #任侠、228-231頁
  60. ^ a b 今村三四夫 (1973年3月10日). “製作事情内紛で暗かった東映問題 三者会談和解成る岡田、俊藤、佐々木三氏発言/今週の日記から 東映お家騒動解決の発表”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1 “ゆく年、くる年 十大ニュースに代えて、行く年の反省とくる年の思惑”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1973年12月15日) 「警戒警報の諸問題 安定ムードのなかの危機 邦画界の最新情報 岡田社長を先頭に年々業績が向上の"映画"の東映」『映画時報』1973年10月号、映画時報社、15–17頁。 「藤純子が引退して一年 鶴田浩二と高倉健も東映映画から消える? 東映王国に何が起きたのか カギ握る俊藤プロデューサー 鶴田や健さんがポルノ、劇画路線に追われるなんて!」『週刊明星』1973年3月11日号、集英社、193 - 195頁。 
  61. ^ 「ニューズオブニューズ お任侠路線コケれば東映ガタガタ 岡田社長と俊藤プロデューサーが対立」『週刊読売』1973年3月17日号、読売新聞社、33頁。 
  62. ^ a b 「ニューズオブニューズ『番外地』は消えたけど‥…"やっぱり高倉健は任侠路線だ"」『週刊読売』1973年8月4日号、読売新聞社、37頁。 
  63. ^ a b 「高倉健の新作『海軍横須賀番外地』」『キネマ旬報』1973年5月下旬号、キネマ旬報社、152頁。 
  64. ^ 「映画界東西南北談議邦画界、失地挽回作戦を展開市場拡充、動員対策で大キャンペーン」『映画時報』1973年7月号、映画時報社、29頁。 
  65. ^ a b #映画魂、221-223、349頁
  1. ^ 原詞は伊藤一で、レコードにはその旨のクレジットがあるが、本作中にはクレジットされていない。
  2. ^ 山田は採譜・編曲を担当。実際の作曲は橋本國彦とされるが、本作中にはクレジットされていない。
  3. ^ 岡田はのちにも、三國連太郎で内定していた『仁義なき戦い』の山守義雄役を金子信雄に代えさせた逸話がある[5]
  4. ^ 平尾は他にもTBSテレビドラマ七人の刑事』第168話「殺意」[21]と『捜査検事』1965年3月19日放送予定「沈黙の罪」[21]にいずれも犯人役としてキャスティングされ収録中だったが[21][22]、こちらも急遽代役が立てられた[21][22]。『捜査検事』の方は劇中、39度の発熱という仮病を使って刑事を騙すシーンがあり、逮捕の当日、平尾は『捜査検事』のスタッフに「39度の熱が出たので撮影に行けない」と劇中のセリフをそのまま使ったナメた連絡をして来て『捜査検事』のスタッフを激怒させた[21]
  5. ^ 当時、東映常務取締役兼企画製作本部長だった岡田茂(のち、同社社長)は、独立プロが製作して市場を形成しつつあった「ピンク映画」に目を付け、1967年大奥物語』以降、「好色路線」を展開した[45][46][47]。さらに「好色路線」をエスカレートさせるべく、岡田が白羽の矢を立てたのが石井で、石井は「何か別の事をやらせてください」と岡田の要請に応えた[42][48]。これがメジャー映画会社として初めて、東映専属ではないピンク女優が大量投入された[49]1968年の『徳川女系図』で[43][46][48]石井は岡田の意図を大胆に表現[42][50]ヌードセックスだけでなく、拷問処刑等、グロテスクな描写を取り入れ、その後も「異常性愛路線」としてエログロをエスカレートさせていく[50][51][52]


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