経実と山名東揚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/08/14 05:12 UTC 版)
なお、江戸時代の頃から但馬山名系の山名東揚が還俗して三上兵庫頭豊範と名乗ったとする説が存在している。これは小泉友賢が『因幡民談記』に記したものであるが、中世史研究家の高橋正弘によってこの説が誤った時代背景の認識からきたものであることが示された。高橋氏は友賢の頃になると経実を始めとする三上氏の存在が風化しており、友賢はわずかに残った経実と東揚の伝承を下地に山名東揚=三上兵庫頭という話を作り上げてしまったのではないかと指摘している。
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