終身刑と釈放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:13 UTC 版)
イスラエル政府は当初は死刑求刑を検討していたが、最終的に終身刑が求刑され、終身刑が判決として確定した後に服役。1985年5月にイスラエルとPFLP-GCとの捕虜交換により釈放。リビア・シリアを経由して、日本赤軍が本拠地としていたレバノンに戻り合流した。 日本警察は釈放直後の5月21日から岡本の逮捕状を取り、5月23日に国際刑事警察機構で国際手配中とした。日本の刑法第5条では外国で服役などの処分を既に受けている場合でも日本でさらに処罰することを認めているが、外国で服役等の処罰を既に受けている場合、日本での刑の執行を軽減したり免除したりすることとなっており、13年間服役している岡本が日本で処罰される場合はこれをどう見るかが焦点となる。 その後、1997年にレバノンに潜伏していた岡本を含む日本赤軍メンバー5人が検挙され、禁固3年の判決が確定し、2000年3月出所。岡本以外の4人は禁固刑の執行後、日本に送還された。しかし、岡本についてはイスラエルと対立するレバノン政府は岡本の政治亡命を認めた。
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