紫明亭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 07:05 UTC 版)
紫明亭(しめいてい)は十和田湖に向かって、発荷峠頂上の少し手前の左側にある。ここは1921年(大正10年)に、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王を十和田湖に迎えるとき、最も眺望の優れた所をご覧頂きたいと言うことで、外輪山をくまなく回って探し当てた所である。 紫明亭の四阿の手前に、大きな自然石の碑がある。1931年(昭和6年)10月に建てられたもので「日本八景十和田湖」と深く彫られたものである。1927年(昭和2年)に、東京日日新聞と大阪日日新聞が主宰して日本八景の選定を全国から募集した。投票は1927年(昭和2年)4月11日から、5月20日まで行われ、投票票数は1億に近かった。約一ヶ月を掛けて現地調査が行われ、7月に審査会が開かれた。審査委員は、谷崎潤一郎や泉鏡花、横山大観、内藤湖南ら各会の権威者49名である。八景の中の湖沼の部では5百万余の投票があり、十和田湖への投票は3位だった。しかし、審査会では富士五湖を凌ぎ第一位に推された。この碑にはその経緯が詳しく彫られている。
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