米沢城
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米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内(出羽国置賜郡)にあった中世から近世にかけての日本の城(平山城)。長井氏および伊達氏の本拠地であり、江戸時代は米沢藩上杉氏の藩庁および、二の丸に米沢新田藩の藩庁が置かれていた。2017年には続日本100名城に選定された。
- ^ a b c d e f g 青木昭博「米沢の町づくりと殖産興業」、花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』宮帯出版社、2009年。
- ^ 『山形新聞 平成30年4月18日』伊達政宗と米沢、菅野正道。晴宗の重臣中野宗時の勢力基盤であったことが移転の根拠の一つとして示されている。
- ^ a b c 木村徳衛『直江兼続伝』(私家版)、1944年、421頁。
- ^ 「上杉家御年譜」(米沢温故会)
- ^ 上杉家は東国大名としては珍しく、大坂や京都屋敷を所有。
- ^ 山形新聞online(2017年01月16日)ほか
- ^ 実際には寛文半知の時点でも、なお米沢藩には「御囲い金」と称する余剰金が数万両も残っていた(「藩史大事典」「藩史物語」など)。
- ^ 平成28年3月1日文部科学省告示第26号
- ^ 「打込接(うちこみはぎ)」という1616年以降の積み方になっている。
- ^ 『福島県歴史資料館収蔵資料目録』35集
- ^ 規模の最も広大な中山城は「上杉家御年譜」(米沢温故会) に「元禄五年(1692)中山御役屋と改称」と記される。
- ^ 織田氏は明和事件により、準国主から無城大名に降格されている。
- ^ 平成28年3月1日文部科学省告示第26号
- ^ 上杉家重臣には毛利氏(長州藩の本家筋・越後国佐橋庄)と島津氏(信濃島津家・水内郡太田庄)もいる。
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