米国ゴルフ協会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 04:11 UTC 版)
「チャールズ・B・マクドナルド」の記事における「米国ゴルフ協会」の解説
1894年、ニューポートカントリークラブとセイントアンドリューズゴルフクラブの二つのクラブで別々に「全米選手権 (national championship)」という名称のゴルフ大会が開催された。マクドナルドはこれらの両方にエントリーし、いずれもで準優勝した。だが両大会ともに運営方法が杜撰、お粗末で、ルールもまちまちであり、「全米一」を決める大会であるとは到底認めることのできないものだったと非難し、結果、後日どちらも公式な大会であるとは認められないとの宣告を受けた。この出来事を受け、その秋にシカゴゴルフクラブ、セイントアンドリューズゴルフクラブ、ザカントリークラブ、ニューポートカントリークラブ、シネコックヒルズゴルフクラブの5クラブの代表者がニューヨークに会し、この問題についての話し合いを持った。マクドナルドもシカゴゴルフクラブの代表としてこれに参加した。この話し合いの結論として、公式な全米選手権試合やルールを管理統括する団体(全米ゴルフ協会 (United States Golf Association, USGA) の前身)を設立することが決定された。マクドナルドはこの新組織の副会長に就任した。第1回の全米アマチュア選手権は1895年にニューポートカントリークラブで開催され、決勝でマクドナルドがチャールズ・サンズを12&11で下して初代チャンピオンとなった。
※この「米国ゴルフ協会」の解説は、「チャールズ・B・マクドナルド」の解説の一部です。
「米国ゴルフ協会」を含む「チャールズ・B・マクドナルド」の記事については、「チャールズ・B・マクドナルド」の概要を参照ください。
- 米国ゴルフ協会のページへのリンク