篠崎地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:35 UTC 版)
篠崎地区では、昭和41年(1966年)実施の町名地番整理と、昭和62年(1987年)以降の住居表示実施とにより、再度にわたり町名変更が行われた。その経緯は以下のとおりである。 昭和7年(1932年)の江戸川区成立時に、旧篠崎村の地区は上篠崎町、下篠崎町、東篠崎町、西篠崎町、南篠崎町、北篠崎町の6町に区画された。 昭和41年(1966年)3月1日、篠崎地区の町名地番整理が実施された。このとき上篠崎町、下篠崎町、西篠崎町、南篠崎町、北篠崎町、鹿骨町、谷河内町の各一部をもって篠崎町一〜七丁目、上篠崎町一〜四丁目、南篠崎町一〜四丁目、北篠崎町一・二丁目が成立した。このほか、上篠崎町、下篠崎町、西篠崎町、南篠崎町、北篠崎町の各一部は昭和45年(1970年)までに南小岩二丁目、東小岩一丁目、谷河内町一・二丁目、鹿骨二・三丁目に編入された。東篠崎町の全域と上篠崎町、下篠崎町、西篠崎町、南篠崎町、北篠崎町の各一部は町名地番整理の対象外となり、従前の町名のまま存続した(上篠崎町、南篠崎町、北篠崎町については、「何丁目」で区分される新町と「丁目」の設定のない旧町とが並存していた)。 各町の編入先は以下のとおりである。 町名(1932年現在)町名変更(1970年まで)備考上篠崎町 1966年一部が上篠崎町1〜4、篠崎町1・2・7となる。1970年一部が鹿骨2・3となる。 1970年以降1990年までは、篠崎公園敷地と、上篠崎町四丁目西方の地区の2か所が「丁目」なしの上篠崎町として存続していた。 下篠崎町 1966年一部が篠崎町1〜7、上篠崎町1〜4、南篠崎町1・4、谷河内町1・2となる。 篠崎町四丁目南東に接する地区が下篠崎町として存続。他に1987年までは東篠崎町南方に下篠崎町の飛地があった。 東篠崎町 変更なし。 西篠崎町 1966年大部分が北篠崎町1・2、南小岩2、東小岩1となる。 1966年以降1990年までは、人口・世帯数ゼロの町として存続。『角川日本地名大辞典 東京都』によれば、1978年現在、篠崎公園敷地のごく一部のみが西篠崎町として存続していた。 南篠崎町 1966年一部が南篠崎町1〜4、篠崎町2・3・4・6、谷河内町2となる。 1966年以降1987年までは、南篠崎町一丁目の南に接する地区と、下篠崎町内の飛地の2か所が「丁目」なしの南篠崎町として存続していた。 北篠崎町 1966年一部が北篠崎町1・2、南小岩2、東小岩1となる。 1966年以降1990年までは、北篠崎町一・二丁目の西に接する狭小な地区のみが「丁目」なしの北篠崎町として存続していた。 昭和62年(1987年)以降、篠崎地区にあらためて住居表示が実施され、町名町界が再編された。この結果、篠崎町八丁目と南篠崎町五丁目が新設され、上篠崎町一〜四丁目と北篠崎町一・二丁目はそれぞれ上篠崎一〜四丁目、北篠崎一・二丁目と改称された。下篠崎町は従前の町名を継承して住居表示が実施され、東篠崎町は一部を除いて東篠崎一・二丁目となった。他に西篠崎一・二丁目が新設されたが、これは昭和7年成立の旧・西篠崎町とは位置が異なっている。「丁目」なしの上篠崎町、西篠崎町、南篠崎町、北篠崎町は平成2年(1990年)までに廃止された。東篠崎町は旧江戸川河川敷部分(千葉県との境界未定部分)のみ住居表示未実施地区として残存している。
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