箒川鉄橋列車転落事故とは? わかりやすく解説

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箒川鉄橋列車転落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/22 07:50 UTC 版)

箒川鉄橋列車転落事故(ほうきがわてっきょうれっしゃてんらくじこ)は、1899年明治32年)10月7日に発生した列車脱線事故である。東北本線矢板駅 - 野崎駅間にある箒川鉄橋を通過中の列車が突風に煽られて連結器が外れ、貨車(貨物緩急車)1両と客車7両の合計8両が折からの豪雨によって増水した箒川の流れに転落して死者19人、負傷者38人の被害を出した[注釈 1][注釈 2]明治時代における最悪の列車事故として歴史に残っている[4]


注釈

  1. ^ a b c d e 『日本鉄道株式会社沿革史』という資料では「死者20名負傷者45名」とされているが、ここでは『日本史小百科22 災害』などの記述に従った。
  2. ^ a b c d 『続 事故の鉄道史』14頁では、『各地災害図会』の記述をもとに負傷者数を「36名」と記述している。
  3. ^ 1891年(明治24年)5月1日改称。
  4. ^ 『日本史小百科22 災害』112頁には「長さ約470尺(約140メートル)、水面からの高さ13尺(約4メートル)との記述があるが、本稿では『続 事故の鉄道史』などの記述に拠った。
  5. ^ a b c 『続 事故の鉄道史』5-6頁では、長津呂測候所での観測値は水銀柱メートル(mHg)を使用して「714.5mHg」(約952.6ヘクトパスカル)と記述されている。本稿では同書の記述に拠るヘクトパスカル換算を採用した。
  6. ^ 『日本史小百科22 災害』112頁では、この台風は10月5日に潮岬に上陸して、近畿地方から東海地方へと進み、7日に関東地方を通過して東北地方から北海道へと進んだ旨の記述があるが、本稿では『続 事故の鉄道史』5-6頁の記述に拠った。
  7. ^ 『続 事故の鉄道史』8頁の記述に拠る。
  8. ^ 引用文中の「母来川」は、原文ママである。

出典

  1. ^ a b c d e 『続 事故の鉄道史』、3頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 網谷、223-226頁。
  3. ^ 『続 事故の鉄道史』、11-12頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『日本史小百科22 災害』112-113頁。
  5. ^ a b c 『続 事故の鉄道史』、2頁。
  6. ^ 三宅、9-11頁。
  7. ^ 三宅、14頁。
  8. ^ 三宅、16頁。
  9. ^ 一級河川那珂川水系 箒川圏域河川整備計画 平成19年6月 (PDF) 栃木県公式ホームページ、2013年8月21日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j k 『続 事故の鉄道史』、5-6頁。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l 『続 事故の鉄道史』、4-5頁。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m 『続 事故の鉄道史』、6-8頁。
  13. ^ シリーズ 塩谷医療史 -3- 箒川列車転落事故と神野勇三郎 (PDF) 塩谷郡市医師会だより 平成22(2010)年2月3日発行 vol.61、2013年8月21日閲覧。
  14. ^ a b c d 『続 事故の鉄道史』、8-9頁。
  15. ^ a b 『続 事故の鉄道史』、1-2頁。
  16. ^ a b c d e f g 『続 事故の鉄道史』、9-10頁。
  17. ^ a b c d 『続 事故の鉄道史』、12頁。
  18. ^ a b c d e f g 『続 事故の鉄道史』、10-11頁。
  19. ^ a b c d e f g h i j 『続 事故の鉄道史』、11-15頁。
  20. ^ a b c d e f g h i j 『続 事故の鉄道史』、15-16頁。
  21. ^ a b c d 『続 事故の鉄道史』、12-13頁。
  22. ^ 『続 事故の鉄道史』、20-22頁。
  23. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『続 事故の鉄道史』、16-18頁。
  24. ^ a b 三宅、56頁。
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m 『続 事故の鉄道史』、19-22頁。


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箒川鉄橋列車転落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)

日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「箒川鉄橋列車転落事故」の解説

1899年明治32年10月7日 当時日本鉄道路線だった東北本線矢板駅 - 野崎駅間で発生した明治時代最大鉄道事故である。当日17時ごろ、折から台風接近による強い風のため、上野福島行き貨車客車混合375列車機関車2両、貨車11両、客車7両)は矢板駅を約1時間遅れで発車した箒川鉄橋通過突風あおられ、この瞬間貨車最後尾緩急車連結外れて緩急車その後ろの客車7両が鉄橋上で転覆そのまま箒川転落した増水した川の濁流貨車・客車砕かれ一部遺体下流烏山町まで流された。死者19名、負傷者38名。 詳細は「箒川鉄橋列車転落事故」を参照

※この「箒川鉄橋列車転落事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の解説の一部です。
「箒川鉄橋列車転落事故」を含む「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事については、「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の概要を参照ください。

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