第一次憲法改正(抜粋改憲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:36 UTC 版)
「大韓民国憲法」の記事における「第一次憲法改正(抜粋改憲)」の解説
朝鮮戦争直前の1950年5月に行われた第2代国会議員選挙で、単独政府作りを推し進めた李承晩に批判的な中道派や南北協商派が多数当選し、国会議員による間接選挙では自身の当選が危うくなったことから、大統領の選出方法を間接選挙から、国民による直接選挙制に改める必要性に迫られて行われた憲法改正である。朝鮮戦争最中の1951年11月30日に最初の憲法改正案を国会に提出した際は圧倒的多数(賛成19名、反対143名、棄権1名)で否決された。その後、白骨団や民衆自決団などの政治ヤクザが国会への抗議デモを行い、1952年5月に臨時首都となっていた釜山一円に戒厳令を布告し、国会議員多数が国際共産党関連嫌疑で検挙され、国会議事堂周辺を警察や政治ヤクザが包囲する中、1952年7月4日に圧倒的賛成多数(賛成163、反対0、棄権3)で可決されて成立した(釜山政治波動)。なお、この憲法改正は与党側が主張する大統領直選制改憲案と野党側の責任内閣制改憲案の両方から改憲条項を抜粋して作られた改憲案であるため、通称「抜粋改憲」と呼ばれている。この改憲に対しては憲法に規定された事前公告手続の不履行や読会手続が欠けるなど手続的な瑕疵があるという指摘が多い。
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