空港の整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 23:44 UTC 版)
「ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社」の記事における「空港の整備」の解説
1942年、オースティン・J・トビンがニューヨーク港湾公社のエグゼクティブ・ディレクターに就任した。第二次世界大戦の終戦後、港湾公社はその運営対象を空港や海運ターミナルへと広げていった。ニューアーク・リバティー国際空港やニューアーク・エリザベス港海運ターミナルもこの時期に造られた。一方、当時市営であったラガーディア・フィールド(現ラガーディア空港)は1939年時点で既に離着陸能力の限界に近く、莫大な費用のかかる改修・拡張の必要に迫られていた。当時、空港は慢性的に赤字を出しながら運営されており、市は空港の維持にすら困窮し、拡張などできる余力はなかった。市は公社に空港の運営を委託することを検討し、その最有力候補がロバート・モスのトライボロウ・ブリッジ・アンド・トンネル公社であった。長期間にわたる交渉の末、1947年5月31日、ニューヨーク港湾公社はニューヨーク市との間にラガーディア空港、ジョン・F・ケネディ国際空港、およびフロイド・ベネット・フィールドの再建・開発・運営権を50年間にわたって借用するリース契約を締結した。港湾公社は空港に店舗やレストランを配置し、空港の財務体質を黒字に転じさせた。
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