積荷及び便乗者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/02 12:07 UTC 版)
「U234 (潜水艦)」の記事における「積荷及び便乗者」の解説
U-234は、1945年3月24日にドイツのキール軍港から240トンの積荷とともに日本に向け出航している。艦内にはドイツで潜水艦建造を学んだ友永英夫技術中佐、イタリア、ドイツでジェットエンジンを学んだ庄司元三技術中佐とドイツの軍人や民間人が便乗していた。ドイツ人の内訳は、1939年春以来駐日ドイツ大使館付空軍武官を務めるヴォルフガング・フォン・グロナウ空軍少将(de:Wolfgang von Gronau)の後任として赴任するウルリッヒ・ケスラー(de:Ulrich Kessler)空軍大将、海軍法務官カイ・ニーシュリング(Kai Nieschling)、電波兵器の専門家で、後にアメリカ軍の兵器開発のために働くことになるハインツ・シュリッケ(en:Heinz Schlicke)博士、Me262ジェット戦闘機のトップ技術者の一人であるアウグスト・ブリンゲヴァルト(August Bringewald)。また、友永技術中佐が「U235」と記入した積荷も積み込まれた。
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