福島競馬倶楽部の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 06:06 UTC 版)
「福島競馬倶楽部」の記事における「福島競馬倶楽部の誕生」の解説
福島愛馬会は1917年(大正6年)に、経営難の藤枝競馬倶楽部から開催権を1万6500円で買収、福島県福島市への競馬場移転という形で政府より12月に移転の認可を受け、1918年(大正7年)1月12日に福島競馬倶楽部に改称した。大島らは自ら保証人となって銀行より10万円の融資を受けて競馬運営資金とし、福島市長の二宮哲三に経営を委ねた。また、福島土地株式会社を設立し、福島市が配当を保証するとして株を発行して市民から競馬場の建設資金を得た。競馬場の建設にあたっては、福島市内の建設土木業者を総動員し、3ヶ月で完成させた。こうした経緯があるため、福島競馬場は他の競馬場に比べて市民参加型だといわれる。 1918年(大正7年)6月28日に福島競馬場で競馬の開催が開始。立役者の伊藤彌は直前の2月に没し、大島が会頭に就いている。開催最初の1年で藤枝時代の3.5倍の売り上げを記録し、翌年にはさらに4倍に売り上げを伸ばして大成功を収めた。京浜地区からの客も多く、競馬開催前日には上野から出る急行に増結車が用意された。
※この「福島競馬倶楽部の誕生」の解説は、「福島競馬倶楽部」の解説の一部です。
「福島競馬倶楽部の誕生」を含む「福島競馬倶楽部」の記事については、「福島競馬倶楽部」の概要を参照ください。
- 福島競馬倶楽部の誕生のページへのリンク