祭笛袋より抜く海静か
作 者 | |
季 語 | 祭 |
季 節 | 夏 |
出 典 | 儚々 |
前 書 | |
評 言 | 海が見える。静かな夏の海だ。ここには鳥影も人影も消えていて、ただ広々とした海原が横たわっているのみだ。そこに袋から今、笛を抜き取るときの瞬間が、まさに一振りの真剣を抜く時のように、鮮やかに切り取られている。 無駄のない静と動のバランスの良さは、私に〈この言語空間に立ち尽くす他ない〉という強い思いをもたらした。 そしてこの静かな海は、私に遠い日の記憶を呼び覚まし、素直に心が満たされてゆく喜びへと変わっていくのである。 ・・・海辺の村で生まれた父は、夏祭りの囃子方連中のなかでいつも横笛を吹いていた。笛と向き合っていたときの父の面差しや祭笛を袋から抜き取る時の手の動きまでが、遥か彼方のできごとなのに、眼前のことのように迫ってきて、暫し時を遡る楽しみを得た。 この句にはどこにも詩の言葉というようなものはなく、「祭笛」も「袋」も「抜く」も「海」も「静か」もどちらからといえば、日常使っている言葉で書かれているし、表記の仕方も言葉を変に操ったりせずに、実に平明に表現されている。それでいてむしろ力強いのである。それは何も特別難しい言葉を遣わなくても、作品として俳句形式の中に置かれた時、これらの日常語は〈詩語〉として相互に作用しあって、俳句という詩形を揺るぎの無いものとしているからだ。 だから私は、出来るだけ有り触れた日常使っている言葉を駆使して俳句という詩形にまた立ち向かわなければならない、といつも思う。 |
評 者 | |
備 考 |
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