奥都城
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奥都城(おくつき)とは、上代の墓のこと。またそこから神道式の墓のこと。神道式の墓石に刻まれる文字でもある。奥津城、奥城とも書く。
- ^ 藤井正雄 『仏事の基礎知識』 講談社 初版1985年 ISBN 4-06-201068-2 p.116参考
- ^ 『吾妻鏡』弘長元年(1261年)2月29日条には、幕府が関東諸侯において、「~死屍(しし)を路地に弃(す)つる事を禁制すべし」と定めている事からも、死体遺棄が中世前半の庶民にとっても一般的な行いであった事が分かる。
- ^ 渡辺誠 『縄文時代の知識 考古学シリーズ4』 東京美術 ISBN 4-8087-0190-1 1983年 p.132.河野広道がアイヌの習俗をヒントに得た説で、このため、親子兄弟の遺骸を棄てたとする。
- ^ 鵜飼秀徳 (著) 『寺院消滅』 日経BP社 ISBN 978-4822279172 p205
神道墓
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基本的な構成は、仏式と同じであるが、神道では焼香を行わないので、香炉は要らない。また玉串を奉げる為の八足台が要る。墓石の形は、細長い角柱型で、頂上部は四角錐になっている。この形は三種の神器の一つ天叢雲剣を表しているとされる。 墓石には「○○家奥都城」或いは「○○家奥津城」と刻む。墓石がない場合は墓標に「○○大人(刀自)命奥都城」と書く。神道では戒名はなく、姓名の下に、之霊・命・命霊・霊位などを付ける。 神社では通常墓地を所有していない。神式でお墓を建立する場合は公営や民営の霊園の墓地を買わなければならない。 大日本帝国の軍人は先祖と同じ墓には入らず神道墓に祀られることが多かった。特に第二次大戦中の戦死者は日当たりの良い場所が割り当てられた。将校の墓石は姓名の前に所属(陸軍か海軍)と最終階級が掘られていることもある。
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