石炭を巡る競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 02:29 UTC 版)
19世紀後半に南ウェールズで行われていた石炭や鉱物の採掘によりグレート・ウェスタン鉄道が大きく成長することは明らかに思われた。またロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道も多くの小さな鉄道路線を買収することによりこの地域へと鉄道が通じていた。ミッドランド鉄道もこれに続き、1867年にスウォンジー・ベール鉄道(英語版)を、1886年にヒアフォード・ヘイ・アンド・ブレコン鉄道(英語版)を買収した。こうした買収はヒアフォードからスウォンジーまでの旅客輸送という形でも生かされ、またグレート・ウェスタン鉄道のウースターとヒアフォード間の走行権と組み合わせて、グレート・ウェスタン鉄道に対抗するバーミンガムとスウォンジー間の直通列車も期待できることになった。ミッドランド鉄道の旅客・貨物列車はスウォンジー・ベールからブライナマンまでの支線でも運行した。 その間にイースト・ミッドランズでは、エリーウォッシュ・バレーに関する独占がグレート・ノーザン鉄道およびグレート・セントラル鉄道によって脅かされていた。1878年にはダービー・フライアゲート駅(英語版)を経由してグレート・ノーザン鉄道のダービーシャー・アンド・スタッフォードシャー延長線(英語版)が開通した。この路線は、トレント・バレーを経由するミッドランド鉄道の北側で炭田をまっすぐ突っ切っており、エギントン(英語版)までの延長によりバートン=オン=トレントへ通じて、利益の上がるビール輸送に関わることができた。 このためミッドランド鉄道は、アンバーゲートからパイ・ブリッジへ、ベイスフォード(英語版)からベンナーリー・ジャンクションへ、ラドフォード(英語版)からトローウェル(英語版)までの路線によりこれに応酬した。後に石灰岩の下での採掘が可能となると、マンスフィールド周辺にさらに多くの路線が建設された。
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