生い立ちと教皇即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 07:45 UTC 版)
「ヨハネス12世 (ローマ教皇)」の記事における「生い立ちと教皇即位」の解説
ローマの支配者アルベリーコ2世(932年 - 954年)とイタリア王ウーゴの娘アルダとの子で、本名はオクタヴィアヌスである。母方の血縁によりフランク王国の王カール大帝の7世の子孫に当たる。父アルベリーコがローマ貴族に誓わせた誓約に基づき、955年12月16日、18歳でヨハネス12世としてローマ教皇に即位した。若年での教皇就任は家柄の良さによるものであって、必ずしも個人的資質や信仰心によるものではなかった。 なお、即位した時に初代ローマ皇帝オクタヴィアヌスに由来する自身の名を教皇名とすることを躊躇ったのか、新たにヨハネスと改名している。
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