現夢の思い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/17 06:52 UTC 版)
戊辰戦争(会津戦争)当時、現夢は4歳位であり、戦乱で会津の街が一面焦土と化した記憶が焼き付いていたため、自分が裏磐梯を緑に変えようとしたとも言われている。裏磐梯を現在我々が緑豊かな磐梯高原として目の当たりにできるのは、この現夢ら多くの福島県民の思いと心血を注いだ努力があったからに他ならない。 なお現夢が生前に立てた墓碑と、磐梯山噴火で亡くなった犠牲者の慰霊碑が五色沼(柳沼)のほとりに残されている。墓碑は磐梯山噴火の折に落下した巨石の下にあり、そこに妻・イクと共に葬られ、辞世の句として「なかきよに(長き世に) みしかきいのち(短き命) 五十年 ふんかおもへば(噴火思えば) 夢の世の中」と刻まれている。 墓の傍には1961年(昭和36年)に、息子の遠藤義之助が亡き父の偉業を後世に遺すための石碑が建立され、碑の裏側には「とこしえに 来りつたへよ 時鳥 知る人ぞ知る 父の功を」と句が刻まれている。
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