辞世の句とは? わかりやすく解説

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辞世の句

読み方:じせいのく

今際の際詠まれる句・歌・詩などのこと。「辞世の歌」とも、単に「辞世」ともいう。中世以降日本において多く武人文人が嗜んだ。

辞世

(辞世の句 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/03 19:08 UTC 版)

辞世(じせい、旧字体: 辭世)とは、もともとはこの世に別れを告げることを言い、そこから、人がこの世を去る時(まもなく死のうとする時など)に詠む漢詩和歌発句またはそれに類する短型の類のことを指す。


  1. ^ 内容は、道中に病にかかり、故郷で取り残される両親を想った歌であり、6首ほど残した。


「辞世」の続きの解説一覧

辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 09:03 UTC 版)

河上弥市」の記事における「辞世の句」の解説

奉献 議論より実を行へ、なまけ武士、 国の大事を余所に見る馬鹿、皇国草莽南八郎」 (南八郎河上弥市の別名) 高杉は、吉村寅太郎河上の死を知り、「私の知り合い世に数多くいるが、私の心を知るものは吉村虎太郎河上弥市のみだ」と悼んだという。 「予、知己天下多し而して能く我心を知る者は、土州吉村寅太郎、我藩の河上弥市也、弥市節に但馬死し寅太郎節に大和死す二士之名頗る近時に冠たり、而して寅太郎は張巡類し弥市は霽類す然して二士節義固よりの及ぶ所に非ざる也。」 (東行遺稿東行とは高杉のこと)

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 09:10 UTC 版)

中原猶介」の記事における「辞世の句」の解説

よしや身は 越路に うづむとも とくる清水に 名をや流さむ 「たとひ身は 越路埋むとも 清き流れに 名をや流さん」とする文献もある。

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 14:28 UTC 版)

薬師寺元一」の記事における「辞世の句」の解説

辞世の句「地獄には よき我が主(若衆)の あるやとて 今日おもひたつ 旅衣かな」から、主君の政元と男色関係にあったといわれる。この歌は掛詞となっており、「我が主」と詠む地獄にいる良い主のもとに決然と旅立つ歌となるが、「若衆」と詠む地獄にも良い若衆がおりお前にとっても居心地がよいぞ、と政元を地獄へと誘う不吉な歌となる。実際、元一は家臣辞世伝えさせる際、「若衆聞こえるよう発音しろ」と指示したという。

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:21 UTC 版)

足利義輝」の記事における「辞世の句」の解説

義輝辞世は以下の句伝えられている。 「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 23:59 UTC 版)

甘粕正彦」の記事における「辞世の句」の解説

大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん自分人生日本満州国運命重ねて詠んだ川柳思われる

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 14:22 UTC 版)

楠木正行」の記事における「辞世の句」の解説

『太平記』流布本26正行吉野へ参る事」では、四條畷の戦い赴く直前、辞世の句(後述)を吉野如意輪寺門扉矢じり彫った描写される決戦前に正行は弟・正時和田賢秀一族率いて吉野行宮参内後村上天皇より「朕汝を以て股肱とす。慎んで命を全うすべし」という言葉受けた。しかし次の戦で討ち死にする覚悟強く参内後に後醍醐天皇御廟参りその時決死覚悟一族・郎党143名の名前を如意輪堂壁板過去帳見立てその名を記してその奥に辞世書き付け自らの遺髪奉納したという。 返らじと かねて思へば あづさ弓 なき数にいる 名をぞとゞむる しかし、生駒孝臣らは、歴史上正行討死前提として四條畷の戦い臨んでいたとは到底考えにくいと指摘している(→玉砕戦か否か)。 なお、簗瀬一雄の『説話文学研究所収梓弓の歌の伝承」や池見澄隆の『中世精神世界〔死と救済〕』所収「『梓弓説話形成仏教シャーマニズム」等によれば類歌『保元物語』中「為義降参の事」・『延慶平家物語』巻4「宇佐神官ガ娘後鳥羽殿へ被召事」その他にある。

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 07:33 UTC 版)

蒲生氏郷」の記事における「辞世の句」の解説

かぎりあれば 吹ねど花は 散るものを 心みじかの 春の山風(風など吹かなくても、花の一生には限りがあるので、いつかは散ってしまうのです。それを春の山風は何故こんなに短気に花を散らしてしまうのですか) この歌は自己の早世を嘆たものである祇園南海幸田露伴著作にこの句の評釈がある。また、山田風太郎は『人間臨終図巻』の中で、「この句は戦国武将絶唱としては白眉である」と評している。

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 02:14 UTC 版)

大石良雄」の記事における「辞世の句」の解説

ウィキクォート大石良雄に関する引用句集があります大石良雄の辞世の句一般には1または2として知られる一部文献には3とされる。 あら楽し 思ひ晴るる 身は捨つ浮世の月に かかるなし あら楽や 思ひははるる 身は捨つ浮世の月に かかるなし - 『介石記』、『江赤見聞記』、『義人遺草極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人 しかしながら1および2は浅野長矩の墓に対してのもので、実際には次が大石辞世の句として現存する武士の 矢並つくろふ 小手のうへに あられたはしる 那須のしの原 これは大石辞世書いたものを堀内伝右衛門預かり大石自身の手になる現物が今に残っている。石川九楊大石筆跡を「ふ」や「る」の止め高く位置して、「当時武家基本書法である御家流踏まえている」との印象語っている。

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/10 08:18 UTC 版)

中島登」の記事における「辞世の句」の解説

登は、明治20年1887年1月1日に以下のような辞世の句を残した。 たかくとも 五十(いそ)の峠をやすやす越ゆれば御代の 春ぞのどけき

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:57 UTC 版)

田中寅蔵」の記事における「辞世の句」の解説

四方山花咲乱る 時なれば も咲くさく 武蔵野までも この句は、長州藩)を支持し武蔵国出身近藤土方らを批判したと言われている。田中辞世之句は他にも数点、残っていることが確認されている。 この項目は、人物関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(プロジェクト:人物伝Portal:人物伝)。 この項目は、日本の歴史関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 22:41 UTC 版)

久保山愛吉」の記事における「辞世の句」の解説

原水爆犠牲者は、わたしを最後にしてほしい。 — 久保山 愛吉

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辞世の句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/26 10:12 UTC 版)

江上信雄」の記事における「辞世の句」の解説

優しく洒脱な性格は、死後彼の妻によって発見され辞世(「早生まれ 早寝早起き 早がてん 浄土へまいるも ちょっと早めに合掌。」)にも現れている。

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