玄南横丁時代
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「日本基督教団静岡教会」の記事における「玄南横丁時代」の解説
1882年(明治15年) 10月 山中笑牧師により静岡市の玄南横丁(呉服町6丁目30番地・現在の呉服町2丁目6番地付近)に静岡教会を移転。 1883年(明治16年) 6月 山中笑牧師、浜松の連尺町で出張講義開始。後の日本基督教団浜松教会の元となる。 1884年(明治17年) 5月 山中笑牧師、下谷教会に転任。 6月 浜松講義所(後の浜松教会)を開く。結城無二三伝道師が浜松着任。 7月25日 浜松の講義所が静岡教会から独立し、浜松教会となる。結城無二三伝道師が浜松教会初代牧師となる。 6月 平岩愃保牧師、 甲府教会から赴任し第4代目牧師となる。 平岩愃保牧師が藤枝に疋野治兵衛・近藤与七を派遣して、伝道開始。 1885年(明治18年) 夏 久永勝成を藤枝に派遣し、藤枝講義所(後の藤枝教会)を開く。 冬 掛川講義所(後の掛川教会)を開く。 1886年(明治19年) 森町・見附に講義所を開く。 1月7日 掛川講義所が掛川教会となる。初代牧師は太田虎吉。 1887年(明治20年) フランシス・アルコット・キャシディ(Fancis Alcot Cassidy)宣教師来静。 F・A・キャシディ宣教師、島田伝道を開始。 5月 平岩愃保牧師、麻布教会(後の鳥居坂教会)に転任。 6月 小林光泰牧師、麻布教会より赴任し第5代目牧師となる。 焼津・袋井に講義所を開く。 1888年(明治21年) 5月4日 F・A・キャシディ宣教師の助力により藤枝講義所会堂建設の議がまとまる。志太郡藤枝町支部字下伝馬590番地に借地し、藤枝講義所の会堂竣工。藤枝講義所が藤枝教会となる。 11月 清水、江尻2か所に講義所を開く。 12月 相良講義所(後の相良教会)を開設。 1889年(明治22年) 島田でF・A・キャシディ、カッキング、ダンロップ宣教師が伝道開始。 蒲原町講義所を開く。 1890年(明治23年) 相良講義所の会堂を献堂。 9月23日 - 追手町元静岡県庁舎跡地の追手町31番地(現在の静岡市葵区追手町6丁目付近・現在は静岡市役所となっている)を入札。 1891年(明治24年) 由比講義所を開く。 1892年(明治25年) 伊志田平三郎伝道師、島田講義所(後の島田教会)を開設。 1月9日 大火により会堂・牧師館焼失。会堂再建まで静岡英語専門学校の校舎(静岡市本通り3丁目)を借りて礼拝を行う。 3月12日 牧師館を新築。
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