アントニオ猪木
(猪木寛至 から転送)
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アントニオ猪木(アントニオいのき、本名:猪木 完至[注釈 1]〈いのき かんじ〉、1943年〈昭和18年〉2月20日 - 2022年〈令和4年〉10月1日)は、日本の男性プロレスラー、実業家、政治家。位階は従四位。
注釈
- ^ 猪木自身が語るところによれば、「本来は“完至”だったんだが、横浜大空襲(1945年5月29日)の時に鶴見の区役所が燃えてなくなり、(猪木家の)戸籍も焼失したので、父が改めて戸籍登録した際に『寛至』に変えたんじゃないか」という。猪木の母からの書簡にも「完至」と記載されていることからも、猪木家では猪木の名前については「完至」と認識されていたと考えられる[6]。
- ^ 長兄は同行せず。祖父は渡航中に船上で毒性のある未熟なバナナを食べて死去。
- ^ 試合前に長州力の不意打ちのラリアットをくらいピンフォール負けするなど、非常に苦しいトーナメントであった。
- ^ このスカイダイビングに猪木は10億円の保険を掛けていた。
- ^ モハメド・アリの娘や猪木の娘(サイモン猪木の妻)などが参戦を表明していた。
- ^ 日系アメリカ人では過去にミスター・フジが殿堂入りしている。
- ^ また、この入籍と同日に猪木は第15回参議院選挙に立候補し、初当選して議員となった[9]。
- ^ 永島勝司(元・新日本プロレス取締役)によると、「当時猪木は、倍賞と離婚後も友人として交流があった。二人が一緒に買い物に行った所、遭遇した(3番目の)妻に咎められたことがあった」としている[9]。
- ^ 猪木の弟の他、猪木の支援者や精神的に良い影響を与えた人など。
- ^ 4人目の妻のこの行動は、猪木の知人の間で「彼女の不器用で深すぎる愛情によるもの」、「利用しようと近づく人から愛する猪木を守るためでは?」、「猪木のキャラクタービジネスのためのパプリシティ権狙いか?」など色々と憶測を生んだ[9]。
- ^ 食事の世話、インスリン注射や薬の管理、マッサージなど。
- ^ 但し、日本プロレス時代や新日本プロレス旗揚げ当初は緑色や紺色のタオルを首に巻いてリングに上がっていたこともあり、Youtubeなどで視聴出来る猪木の古い映像ではそれが確認出来る。
- ^ 猪木の実兄でブラジル在住の相良寿一が、ブラジル空手道協会の最高師範で、軍の中にも多くの弟子を抱えていたことから、相良を通じて軍隊の協力を得ることができたという。
- ^ なお、猪木が揮毫したぼんぼりの隣にはものまね芸人のアントキの猪木が揮毫したぼんぼりも展示されており、「偽道」と題した詩がしたためられていた[286]。
出典
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- 猪木寛至のページへのリンク