犬迫の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:50 UTC 版)
犬迫という地名は室町時代より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。寛正6年(1465年)の「鹿児島諏訪社祭次第」には「七番 <辛卯年> <上伊敷 犬迫>」と犬迫の記載があり、この頃より見える。 文明5年(1473年)の田代肥前入道清定書状には「鹿児嶋犬迫三十町」「鹿児嶋犬迫之内ゆるさノ門一町二反」と見え、地内に田代氏の所領があったことがわかる。大永6年(1526年)の島津忠兼の書状によれば犬迫15町のうち半分が河田氏に与えられたとされる。 享禄3年(1530年)には八房神社が比志島義祐によって建立されたと伝えられている。
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