牟子とは? わかりやすく解説

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ぼうし 【牟子】

中国古代思想家。牟子博・牟融とも。後漢末、蒼悟(広西省)の人といわれ、経伝諸子兵法神仙の書など広く学び一時交趾ベトナム)に行き帰国仏教究め、『老子』を学び儒仏三教一致説き、それを三七条の問答体にした『理惑論』を著した(ただし、この執筆には疑問説もある)。(生没年不詳

牟子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 17:39 UTC 版)

牟 子(ぼう し、生没年不詳[1])は、中国後漢末期の仏教学者。名は伝わっておらず、後世の書では牟子博[2]、あるいは牟融[3]とする。交州蒼梧郡の人。


  1. ^ 序によると霊帝崩御まえに疎開し、その時に20代であるため、生年は160年頃か
  2. ^ 弘明集』巻十四「牟子理惑論」に「一云蒼梧太守牟子博傳」とある。しかし史書の蒼梧太守に牟氏は見られず、蒼梧出身の牟子が地元の太守となることは、三互法中国語版本貫地の州刺史には任命されない)で禁じられている。
  3. ^ 隋書』經籍志「牟子二巻後漢太尉牟融」とある。しかし牟子と後漢の太尉・牟融とはまったくの別人である。『旧唐書』『新唐書』には牟融撰とだけ記す。
  4. ^ それ以前に劉曜、史璜の後は呉巨。
  5. ^ 笮融に殺害された朱皓と同郡出身だが、正史類に彼と親族であるとの記載はない。
  6. ^ 『牟子理惑論の研究』稲岡誓純


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