牙符制
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牙符制(がふせい)とは、室町時代に日朝貿易(日本が朝鮮と行った貿易)で行われた査証制度(外交使節の審査・認証を行う制度)のこと。日明貿易における勘合制と同様、一つの符を二つに裂いた割符を以って外交使節の査証を行う制度であり、勘合符の代わりに牙符(象牙符、日朝牙符とも)と呼ばれる通信符が使用された。
- ^ 通交とは外交を兼ねた貿易のこと。
- ^ 王城大臣使とは斯波氏・細川氏・畠山氏などの幕府重臣、在京有力守護による使節のことを指す朝鮮側の呼び名。
- ^ 図書とは朝鮮王朝が発行した銅製印章のこと。
- ^ 書契とは外交文書の一種。
- ^ 偽使とは名義人とは別の第三者が派遣した偽者の使節のこと
- ^ 義政が意図したのはあくまで日本国王使・王城大臣使の通交の統制であり、既に朝鮮王朝から独自の通交権を得ていた大内氏や宗氏などの西国諸勢力の通交まで統制するものでは無かった。
- ^ 木印とは木製の偽造印鑑のこと。
- ^ 宗氏は1474年の牙符発給を受けた日本国王使を、帰路、対馬で一時拘束している。
- ^ 1480年に偽王城大臣使が朝鮮に通交し、牙符が散逸したとする撹乱情報を伝えている。ただし、実際には散逸することなく、全ての牙符が義政の手に届いている。
- ^ 1482年、宗氏は朝鮮王朝に象牙の求請をし、断られている。象牙は元より朝鮮で産出するものではなく、それ以前に宗氏自身が象牙の進上を行っていることもあり、これは牙符と同根の象牙の入手を図ったものと見られている。
- ^ 義澄が朝鮮王朝に宛てた書簡には「災于府庫、既失牙符、僅存両三枚」とあり、また改給を受けた使節は第二・第三牙符のみ携行していたことから、1504年の時点で2・3枚を残し牙符は流出してしまっていたと推測される。
- ^ 1522~25年頃の物と見られる大友氏関連の古文書に、大友氏が第一・第二牙符を所有し宗氏に貸し出していることが記されている。
- ^ 大内氏は日明貿易において細川氏と貿易利権を争っていたが、1542年に第四牙符を用いて偽日本国王使を派遣し、日明貿易における大内氏の正統性を明に伝達するよう、朝鮮王朝に要請している。
- ^ 1552・53年に第三牙符を携行した偽使が朝鮮に通交している。この第三牙符に関しては所有者、流出経緯とも不明である。
- ^ 1541年に足利義晴から大友氏に宛てた書簡に「高麗国勘合事、於対馬国数ヶ年令抑留之次第、曲事候」とあり、牙符は1541年の数年前から対馬に止め置かれていたと推測される。
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