湖沼伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 20:14 UTC 版)
鬼無里盆地がかつて湖だったとする伝承。大望峠下の十二神社や村中心部の鬼無里神社などに伝承が残り、各所に伝承に因む歌碑などがある。 盆地を囲む虫倉山、荒倉山、土倉山(一夜山)を渡し舟が結んでいたとされる。両岸を結ぶ綱が張ってあり、これを頼りに船が渡ったとも。「北岸」の大望峠付近には十二神社、「南岸」の大洞峠付近には飯縄神社があり、両社にはかつて船を繋いだとされる槻の大木があった。十二神社には「船繋ぎの樹」の切り株が残る。大洞峠側の槻は昭和50年代に倒木したとされる。十二神社の社紋が帆掛け舟で、「波よけの鳥居」(厳島神社などに見られる両部鳥居)も伝承を裏付けるとされる。 湖水は銚子口(長野市側からみると鬼無里盆地の入り口に相当する)から裾花峡を抜けて流出し、湖底から「魚山」が現れたとされる。魚山は現在の市街地中心部にあり、頂部に鬼無里神社がある。水が涸れて出現した盆地は水無瀬村となり、7世紀末頃に鬼無里村と改称したとされる。 そのほか湖に住んでいた竜の「宝珠」が大龍寺に伝わっていたが、昭和15年に寺ごと焼失した。
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