淋しい幽霊いくつも壁を抜けるなり
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評 言 | 幽霊を夏の季語にした歳時記をどこかで見た記憶がある。むかしは、橋のたもとの柳の下あたりによく出たらしく納涼を兼ねた風物だった、と言ってしまったら、出る方の気も知らないでウラメシイ奴だと叱られるだろうか。しかし、生者の都合で姿かたちや登場する場所、おまけに季節まで限定されるのは、あちらにとっても不本意に違いない。 この世の生を終えたら元の自然に戻る。それが一等さっぱりして気持がいいように思うのだが、掲句の持つ不思議な臨場感には何故かとても引かれるのである。 御存知、山川蝉夫は『蕗子』『日本海軍』など現代俳句史上にのこる句集を世に出した高柳重信の別号である。一句一句をただ一度きりの俳句形式で表現するという非凡な着想と、見事な実践をやってのけた重信が、「夕暮れの物憂さに誘われる単純素朴な言葉の遊び・・・」と自嘲しつつも既存の形式を通して詠まずにいられなかった心象世界が『山川蝉夫句抄』(昭五十二)である。 一句に五分以上費すことはないなどと、つれなくすればするほど山川蝉夫は、「俳人・高柳重信」より「人間・高柳重信」の本質に近かったのではないかという推測を生む。 淋しい幽霊は、さ迷う想念である。人間であったことなど忘れている。風ではない。風なら物に触れることができる。完全な無でも無い。無なら淋しくはないはずだ。何ひとつ応えてはくれない生者の世界を、その壁を、ただ素通りするしかない幽霊の孤独を思う。 <写真:青木三明> |
評 者 | |
備 考 |
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