海部内閣
海部内閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 15:11 UTC 版)
政治改革4法案の原型は第2次海部改造内閣が1991年に提出した政治改革3法案(衆議院議員選挙区画定審議会設置法案がない)にある。後藤田正晴を中心に取りまとめられたとされる原案は小選挙区比例代表並立制で2票制とのちに成立する案とほぼ変わらなかった(この時後藤田のもとで実務を担った武村正義がのちに細川政権成立に際して、これに近い並立制案を復活、成立させることになる)。当時の首相である海部俊樹も臨時国会所信表明演説にて「政治改革の実現」を強調し強力に推進した。 だが、同3法案は閣議決定されたにもかかわらず、当時竹下派に依存し党内の政治基盤が脆弱であった海部内閣に対する格好の攻撃対象となった。同法案では既に選挙区を確定していたため、与野党問わず区割りに不満な議員はゲリマンダーならぬカイマンダーであると反発し、ハトマンダーやカクマンダーの再来かと騒がれた。政治改革特別委員会では野党はもとよりYKKなど党内からも激しく反対され、1991年9月30日、小此木彦三郎委員長は廃案を宣言することになった。これを受け、海部首相が「重大な決意」と解散総選挙を匂わせたが、小沢一郎からも反発を受け、退陣へ追い込まれる(海部おろし)。
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