派生的誤用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 06:27 UTC 版)
ノストラダムス予言集の単位にサンチュリが用いられた結果、16世紀から17世紀にかけて彼を模倣した占星術師たちの中には、サンチュリを単なる「予言」や「(1ないし数篇の)四行詩」の意味で誤用する者が次々と現れるようになった(ピエール・ド・ラリヴェのように、正しく四行詩を百篇集めたものをサンチュリと称したケースもあるが、これはむしろ例外的なものである)。 彼らの「サンチュリ」は、単なる散文であったり、単独の四行詩であったりと、本来の語義である「百の集まり」とは、大きく乖離したものであった。なお、前掲TLFでは、ここからの派生と思われる「サンチュリを作る faire une centurie 」(1篇の予言的な詩篇を作ること)という熟語が紹介されている。 ノストラダムス以後、サンチュリと冠した作品を刊行した占星術師には次の者たちがいる。 アントワーヌ・クレスパン 厳密にはタイトルに用いたことはないが、著書の一部で、四行詩1篇を添えた散文をサンチュリと称している。 アンベール・ド・ビリー ノエル=レオン・モルガール フランソワ・ラバン ジャン・ブロ ピエール・ド・ラリヴェ マチュー・ランスベール 『マチュー・ランスベール師によって構成された1679年向けの予言と新たなるサンチュリ』(リエージュ、1678年頃)。刊行時期が遅いため、おそらく別人の手になる偽書。 このほか、マザリナードの中に、『ジュール・マザランの出生に関するサンチュリ』(1649年)や『予言的大虐殺あるいは百のサンチュリ La Hécatombe prophétique, ou les Cent centuries 』(1652年)などのように「予言」の意味で誤用しているものがあった。
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