洋楽からの影響
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元々は洋楽にはあまり詳しくなかったのだろうと見られている。しかしデビュー後は事務所社長の高杉に薦められてマリリン・モンローやマドンナなど外国のスターの映像をくり返し見て演出の参考にしていた。デビュー翌年の「1986年のマリリン」における衣装や振り付けはその影響でもある。 この1986年(昭和61年)にはゲイリー・ムーアから楽曲提供を受け、彼のギター・ワークをフィーチャーした「the Cross -愛の十字架-」をガイ・フレッチャー(ロキシー・ミュージックの元メンバー)のプロデュースにより制作した。ムーアとフレッチャーはこの年にロンドンで録音されたアルバム『CANCEL』にも参加している。この時にフランクフルトでのクイーンのコンサートに招かれ、メンバーとの交流を深めた。 この年には再びロンドンを訪れて、クイーンのギタリストブライアン・メイのプロデュースによりシングル「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」を制作した。本田は武道館でのコンサートでフレディ・マーキュリーの「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」をカバーしており、またレーベルが同じEMIだったこともあり、クイーンの担当だった宇都宮カズを介してこのコンサートのライブ盤とデビューアルバムをロンドンEMIを通じてメイに送ったところ、彼の方から申し出がありコラボレーションが実現した。シングル「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」は翌1987年(昭和62年)に発売され、英語版もイギリスをはじめヨーロッパ20箇国でリリースされた。 ラトーヤ・ジャクソンの来日公演のプロモートをボンド企画が手がけた縁で1987年(昭和62年)に彼女とのジョイントコンサートを行い、ジャクソン・ファミリーとも親しくなった。ロサンゼルスのマイケル・ジャクソンの自宅にも招待され、彼らのスタッフのプロデュースにより全曲英語詞のアルバム『OVERSEA』を制作した。このアルバムはアメリカでも発売された。 またこの年の7月にはジャマイカを訪れスライ&ロビーのライブにゲスト参加し、「HEART BREAK」と「EYE言葉はLONELY」(アルバム『Midnight Swing』収録)を歌った。このようにデビューから数年後には海外ミュージシャンとのコラボレートは本田の歌手活動の際立った特徴ともなっていた。
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