江戸時代 : 仲見世(歳の市)の発展
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「仙台初売り」の記事における「江戸時代 : 仲見世(歳の市)の発展」の解説
17世紀初頭より仙台城下町の建設が始まり、南北道の奥州街道(北側:国分町、南側:南町)と東西道の大町が交差する芭蕉の辻が城下の商業・交通の中心となるが、この大町の肝入となった只野小右衛門は、毎年12月25日から3日間、芭蕉の辻周辺の路上に仮設市の仲見世を開き、賃料を徴収することを仙台藩から許可された。仲見世では肝入が歳徳神(陰陽道)のお札を売り、そのほか正月飾りや年越しの道具が売られていたが、瀬戸物や子供用玩具など商品は多様化し、興行も行われるようになって、城下のみならず、近隣の村々からも大勢の人出があったと言う。 大町を初めとした城下商人は、藩の許可により流通を独占する特権を持った株仲間を形成していたが、江戸時代中期になるとその独占体制が揺らぎ、大町は衰退の危機に直面した。すると天明期(1781年~1789年)の後には、仲見世の期間が12月30日(大晦日)まで延長されるようになった。
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