武蔵墨書小判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 13:50 UTC 版)
武蔵墨書小判(むさしすみがきこばん/むさしぼくしょこばん)は「武蔵壹两光次(花押)」と墨書された駿河墨書小判と同形式の小判であり武蔵墨判(むさしすみはん)とも呼ばれ、楕円形のもので埋め金により量目調整されたものおよび、長楕円形の形状のものがある。『金銀図録』および『大日本貨幣史』によれば、これも文禄4年(1595年)鋳造とされ(文禄5年(1596年)鋳造との説も有力である)、家康が江戸に移ってから鋳造させた関八州通用の領国貨幣とされ、その量目および金品位から慶長小判の元祖とされるものである。この文禄4年は後藤庄三郎光次が江戸に下向した年である。実際にこれらの墨書小判を作り直したと考えられる慶長古鋳小判が現存している。 量目は4匁8分(17.8グラム)程度あるいは17.55グラムで慶長小判の規定である4匁7分6厘である可能性が高く、金品位も五十二匁二分位(84.3%)程度とされる。
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