次女・留女子(るめこ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:26 UTC 版)
1917年(大正6年)7月23日我孫子で誕生。汽車に乗せずに済むように自宅出産で生まれた。直哉は祖母の留女に名付けを頼んだが、良い名を思いつかないので自分の名はどうかと言われたので、子の字をつけて留女子となった。直哉は今度こそ無事に育てようと外出や食べ物を制限し、その過保護ぶりは周囲でも有名だった。奈良女子高等師範学校附属高等女学校卒業後、1940年に男爵長與又郎の長男と結婚するが9か月で離婚し、柳宗悦の妻で声楽家の柳兼子の紹介で、ピアニスト(のち国立音楽大学学院長)の土川正浩と再婚し、二人の娘をもうける。
※この「次女・留女子(るめこ)」の解説は、「志賀直哉」の解説の一部です。
「次女・留女子(るめこ)」を含む「志賀直哉」の記事については、「志賀直哉」の概要を参照ください。
- 次女・留女子のページへのリンク