横田国臣とは? わかりやすく解説

横田国臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 20:41 UTC 版)

横田 国臣(よこた くにおみ、嘉永3年8月9日1850年9月14日) - 1923年大正12年)2月24日)は、明治・大正時代の司法官僚法律家法学博士。司法次官検事総長大審院院長(現在の最高裁判所長官)等を歴任。法典調査会第三部長(刑法起草責任者)。和仏法律学校(現在の法政大学)校長。位階勲等正二位勲一等爵位男爵


注釈

  1. ^ 島原藩領の飛び地。
  2. ^ この時のドイツ留学組には、高木豊三加太邦憲河村譲三郎富谷鉎太郎田部芳石渡敏一などがいた。
  3. ^ 司法省の民事局と刑事局が合併した後に誕生した部局。

出典

  1. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月。ISBN 978-4-06-288001-5 
  2. ^ 野村英一『三田の政官界人列伝』慶應義塾大学出版会〈業書〉、2006年、345頁。 
  3. ^ 小林俊三『私の会った明治の名法曹物語』2版、日本評論社、1974年、217頁
  4. ^ a b 『官報』第1001号、1915年12月2日。
  5. ^ 『官報』第479号「賞勲叙任」1885年2月7日。
  6. ^ 『官報』第2547号「叙任及辞令」1891年12月24日。
  7. ^ 『官報』第2884号「叙任及辞令」1893年2月13日。
  8. ^ 『官報』第4242号「叙任及辞令」1897年8月21日。
  9. ^ 『官報』第6256号「叙任及辞令」1904年5月11日。
  10. ^ 『官報』第7193号「叙任及辞令」1907年6月22日。
  11. ^ 『官報』第8710号「叙任及辞令」1912年7月2日。
  12. ^ 『官報』第2089号「叙任及辞令」1919年7月22日。
  13. ^ 『官報』第3170号「叙任及辞令」1923年2月26日。
  14. ^ 『官報』第3451号「叙任及辞令」1894年12月27日。
  15. ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
  16. ^ 『官報』第5964号「叙任及辞令」1903年5月22日。
  17. ^ 『官報』第6902号「叙任及辞令」1906年7月3日。
  18. ^ 『官報』第574号「叙任及辞令」1914年6月30日。
  19. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。


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