概念の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 23:54 UTC 版)
鎌倉七口の史料上の初見は、江戸時代初期の1642年(寛永19年)~1644年(寛永21年)頃に書かれたと思われる『玉舟和尚鎌倉記』である。その後、1659年(万治2年)の『金兼藁』、1674年(延宝2年)の徳川光圀『鎌倉日記』、また、徳川光圀が命じて編纂させた1685年(貞享2年)の『新編鎌倉志』にも相次いで言及を見出すことが出来る。江戸時代末では、1829年(文政12年)の『鎌倉攬勝考』、1841年(天保12年)の『新編相模風土記稿』に同じような記述がある。 『玉舟和尚鎌倉記』では「大仏坂」「ケワイ坂」「亀ヶ井坂」「小袋坂」「極楽寺坂」「峠坂」「名越坂」とあり、『徳川光圀鎌倉日記』になってケワイ坂を「化粧坂」、亀ヶ井坂を「亀ヶ谷坂」、小袋坂を「巨福呂坂」、峠坂を「朝比奈切通」、大仏坂を「大仏切通」、極楽寺坂が「極楽寺切通」、名越坂が「名越切通」と出てくる。
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