かつらタフト‐きょうてい〔‐ケフテイ〕【桂タフト協定】
桂・タフト協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 23:42 UTC 版)
桂・タフト協定(かつら・タフトきょうてい、英語: Taft-Katsura Agreement)とは、日露戦争中の1905年(明治38年)7月29日に日本の内閣総理大臣兼臨時外務大臣であった桂太郎と、フィリピン訪問の途中に来日したアメリカ合衆国特使であったウィリアム・タフト陸軍長官との間で交わされた協定。桂・タフト覚書(かつら・タフトおぼえがき、英語: Taft-Katsura Memorandum)とも呼ばれる。韓国では桂-タフト密約(가쓰라-태프트 밀약)と呼ばれる。
注釈
- ^ なお、タフトはルート国務長官に宛てて電文で送付したが、ルートは電文が連邦首都ワシントンに到着した時、休暇でニューファンドランド方面に出かけており、不在だった。
出典
- ^ 米國公使 「알렌」 後任으로 「에드윈 모간」 任命 件 韓国史データベース
- ^ Former Chiefs of Mission in Korea 米国大使館 韓国ソウル
- ^ 渡辺惣樹『日米衝突の萌芽』草思社、p.89-98
- ^ 渡辺惣樹『日米衝突の萌芽』草思社、p.99-102
- ^ 長田彰文『セオドア・ルーズベルトと韓国』未來社、102-106
- ^ 長田彰文『セオドア・ルーズベルトと韓国』未來社、1992年
- ^ “韓国与党の大統領候補「米国の承認で日本が韓国を併合」 米議員との面会で”. 聯合ニュース (2021年11月12日). 2021年11月12日閲覧。
- 1 桂・タフト協定とは
- 2 桂・タフト協定の概要
- 3 影響
桂・タフト協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:30 UTC 版)
また、日露戦争において日本は日本海海戦での勝利を経て、ロシア軍もセオドア・ルーズベルトによる講和勧告を受け入れていた時期の1905年7月29日、タフトは来日し、日本の内閣総理大臣桂太郎との会談のなかで、アメリカは韓国における日本の支配権を承認し、日本はアメリカのフィリピン支配権を承認する内容の桂・タフト協定を交わす。桂・タフト協定は、1902年の日英同盟をふまえたもので、以下の三点が確認された。 日本は、アメリカの植民地となっていたフィリピンに対して野心のないことを表明する。 極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国による事実上の同盟によって守られるべきである。 アメリカは、日本の朝鮮における指導的地位を認める。
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