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松岡譲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/06/08 05:16 UTC 版)
| 松岡 譲 | |
|---|---|
| 誕生 | 松岡 善譲(-ぜんじょう) 1891年9月28日 新潟県古志郡石坂村大字鷺巣(現長岡市鷺巣町) |
| 死没 | 1969年7月22日(満77歳没) |
| 職業 | 小説家 |
| 国籍 | |
| 主題 | 小説 |
| 配偶者 | 筆子(1918年 - 1969年) |
| 子供 | 松岡陽子マックレイン(二女) 半藤末利子(四女) |
| 親族 | 夏目漱石(岳父) 夏目鏡子(岳母) 夏目純一(義兄) 夏目伸六(義兄) 半藤一利(娘婿) 夏目房之介(甥) |
| 文学 |
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松岡 譲(まつおか ゆずる 1891年9月28日 - 1969年7月22日)は日本の小説家。本名は松岡 善譲(ぜんじょう)。
概要
新潟県古志郡石坂村大字鷺巣(現長岡市鷺巣町)出身。父親は真宗大谷派定正院の僧侶。旧制長岡中学では、同級生に詩人・フランス文学者となる堀口大學がいた。
本来なら父を継いで僧侶になるべき立場だったが、幼い頃から仏門の腐敗を目の当たりにして育ち、生家に強く反撥した。第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科に在学中、夏目漱石の門人となる。漱石の長女筆子の愛を巡って同門の久米正雄から嫉視される。筆子からの愛の告白に応じ、1918年、大学卒業の翌年に筆子と結婚。
1922年、久米が小説『破船』の中に松岡を卑劣漢として登場させ、あたかも不正な術策を弄して筆子を掠奪したかのように事実を歪めて描いたため、松岡は永らく誤解を受け、社会からの冷遇に苦しんだ。松岡の子供が近所の子と遊んでいると、その子の母親が飛び出してきて「あんな悪人の子供と遊んじゃいけません!」と叱りつけたこともあった。
自伝小説『法城を護る人々』はベストセラーとなった。法蔵館より全3巻で再刊された。ほかに20世紀初めの敦煌を舞台にした『敦煌物語』が講談社学術文庫で、のちに平凡社で再刊された。
また漱石夫人夏目鏡子の談話をまとめた『漱石の思ひ出』も文庫などで広く読まれた。
筆子の一件以来、久米とは不倶戴天の間柄だったが、久米の死の直前に和解を果たしている。
二女の松岡陽子マックレインは比較文学研究者で、オレゴン大学名誉教授。四女の半藤末利子は随筆家で夫は昭和史研究家の半藤一利。
編著書
- ※漱石関連のみ
- 漱石写真帖 第一書房 昭和4年
- 漱石先生 岩波書店、昭和9年 昭和61年、平成5年復刊
- 漱石 人とその文学 潮文閣、昭和17年
- 漱石の思ひ出 前後編 夏目鏡子述・松岡譲筆録 角川文庫 昭和29年 のち改版
- 初版は岩波書店で昭和4年 数度復刊、文春文庫で再刊、平成6年
- 夏目漱石―人と作品 松岡譲 旧河出文庫 昭和29年
- 漱石の印税帖 松岡譲 朝日新聞社 昭和30年
- 漱石の漢詩 松岡譲 朝日新聞社 昭和41年 旧版十字屋書店 昭和22年
- ああ漱石山房 松岡譲 朝日新聞社 昭和42年
伝記
固有名詞の分類
関連した本
- 漱石の思い出 (文春文庫) 松岡 譲 文藝春秋
- 敦煌物語 (講談社学術文庫 558) 松岡 譲 講談社
- エネルギーと環境の技術開発 (地球環境のための技術としくみシリーズ) 藤井 康正 コロナ社


