東海道吉田とは? わかりやすく解説

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とうかいどうよしだ〔トウカイダウよしだ〕【東海道吉田】

読み方:とうかいどうよしだ

葛飾北斎による風景版画シリーズ富嶽三十六景」の作品の一。東海道吉田は現在の愛知県豊橋市付近街道沿いの茶屋くつろぐ人々と、茶屋の奥から見え富士山の眺望描いたもの。


東海道吉田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/19 08:22 UTC 版)

東海道吉田」(とうかいどうよしだ)は、葛飾北斎の代表作である『富嶽三十六景』全46図の内の一図。1831-34年(天保2年-5年)[注釈 1]頃の刊行。大判[注釈 2]錦絵落款は「前北斎為一筆」(ぜん・ほくさい・いいつ・ひつ)。版元は永寿堂西村屋与八


注釈

  1. ^ 天保2年正月、三十六景の版元となる永寿堂から刊行された柳亭種彦『正本製』(しょうほんじたて)巻末に三十六景の刊行予告がある。「富岳三十六景 前北斎為一翁画 藍摺一枚 一枚ニ一景ツゝ 追々出版 此絵は富士の形ちのその所によりて異なる事を示す 或は七里ヶ浜にて見るかたち又は佃島より眺る景など総て一やうならざるを著し 山水を習う者に便す 此ごとく追々彫刻すれば猶百にもあまるべし 三十六に限るにあらず」[1]。天保5年に北斎は「画狂老人卍」を名乗り、絵本『富嶽百景』の作画に移る[2][3]
  2. ^ 約39cm×約26.5cm。大奉書紙を縦二つ断ちしたもの。この時期の浮世絵は大判が標準サイズになる[4]
  3. ^ https://www.google.com/earth/ Google Earth にて確認。
  4. ^ 「東海路の中下五井村に在。小坂井村と吉田駅の中間なり。晴天には此所より富士峰を望む。海道富士を望の始めとす」[5]上洛ではなく、下向(げこう。京都方面から江戸に向かうこと。)時の場合である。
  5. ^ 1812年(文化9年)、名古屋にて『北斎漫画』の下絵を描く。1817年(文化14年)10月5日、名古屋・西本願寺別院境内で、120畳大の達磨を描く[2][7]
  6. ^ 1812年(文化9年)と1817-18年(文化15-16年)に伊勢・大和・大阪・紀伊を旅したか[8]
  7. ^ 「ほくちは当時吉田の名物として世に知られ、火打金を打ちつけて発する火花を、移し取るための綿状のものであり、『付木』とともにマッチがわが国に輸入される以前の発火道具の一部として欠くべからざるものだったのである[10]。」また『東海道御分間ニ付当宿方書上控帳』(享和2年)によると、吉田宿の商家として58職種が挙がっているが、「ほくちや」は6軒載っている[11]
  8. ^ 錦絵で最初に彫摺する輪郭線。

出典



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