東坊城聡長とは? わかりやすく解説

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東坊城聡長

読み方ひがしぼうじょう ふさなが(ときなが)

江戸後期公卿。東坊長尚長の子。大納言正二位に至る。文久元年(1861)歿、63才。

東坊城聡長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/18 14:39 UTC 版)

東坊城 聡長(ひがしぼうじょう ときなが)は、江戸時代後期の公卿。東坊城尚長の養子。官位従二位権大納言開国期に武家伝奏を務め『東坊城聡長日記』などを遺した[1]。子の東坊城夏長の次女・橋本夏子明治天皇典侍


注釈

  1. ^ この額は、羽田八幡宮文庫の主宰者で羽田八幡宮神職羽田野敬雄女婿鈴木孝本(吉田本町の商人)の生母が「京都地下衆垣内大炊少允大江匡雄ノ妹」だった関係からもたらされたものであるという。田崎(1993)p.306

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