条約の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:12 UTC 版)
「部分的核実験禁止条約」の記事における「条約の背景」の解説
前年の1962年秋にキューバ危機が起こり、アメリカとソ連は核戦争一歩手前にまでエスカレートするほど激しく対立した。この苦い経験から米ソ両国は歩み寄り、部分的核実験禁止条約の締結へと向かった。また、核実験に伴う「死の灰」による健康被害・環境破壊への国際的な批判も背景となった。 この条約に関して当時のアメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、キューバ危機後の1963年6月10日、アメリカン大学の卒業式での「平和のための戦略」という演説の中で、ソ連、イギリスと核実験禁止条約について話し合うことを明らかにした。この演説の約一ヵ月後に、部分的核実験禁止条約は結ばれることとなった。
※この「条約の背景」の解説は、「部分的核実験禁止条約」の解説の一部です。
「条約の背景」を含む「部分的核実験禁止条約」の記事については、「部分的核実験禁止条約」の概要を参照ください。
- 条約の背景のページへのリンク