末期のローマ暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 21:05 UTC 版)
紀元前46年まで使われていた最終期のローマ暦は、1年は12か月、355日だった。年始は1月1日であった。1月から順にそれぞれの月の日数は次のとおり。 29,28,31,29,31,29,31,29,31,29,29,29 平年の1年の長さは355日で、2年に1度、2月23日と2月24日の間に22日間または23日間の閏日を挿入した。閏年の1年の長さは377日または378日になる。閏日が2月23日の翌日におかれるのは、初期のローマ暦が閏年の2月の日数を23日に減じたことに由来する。なお、最終期のこの暦法もヌマ暦と呼ばれている。 閏日の挿入は最高神祇官の職責であったが、この官職の職務は軽視されがちであり、規則どおり閏日を入れないことがしばしばあった。政治的な理由で、1年の長さを恣意的に操作するため、閏日を挿入したりしなかったりすることもあった。そのため、暦の上の日付と季節がまったく合致しなくなった。末期には、1月(Ianuarius)が秋に来る異常事態となった。このため、当時の執政官ガイウス・ユリウス・カエサルは抜本的な改暦を決意し、紀元前46年の暦に、閏月を都合3回合計90日挿入した上で、翌紀元前45年のIanuariusのKalendaeより1年を365.25日とする太陽暦に移行させ、閏月挿入に伴う暦法上の混乱を収束させた。これがユリウス暦である。記録に残る限り、最も1年の日数が長い年はこのローマ暦紀元前46年である。カエサルはこの年をultimus annus confusionis(最後の混乱の年)と呼んで自らの功績を誇ったが、ローマ人達は単にannus confusionis(混乱の年)と呼んで皮肉ったという。
※この「末期のローマ暦」の解説は、「ローマ暦」の解説の一部です。
「末期のローマ暦」を含む「ローマ暦」の記事については、「ローマ暦」の概要を参照ください。
- 末期のローマ暦のページへのリンク