有人飛行への試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/31 15:20 UTC 版)
「マンリー・バルザーエンジン」の記事における「有人飛行への試み」の解説
この成功に勇気付けられ、マンリーはより大きなシリンダーと新たに開発した軽量のピストンにより、無人機に搭載されたエンジンのスケールアップを目指し改設計に取り掛かり、重量120ポンド、出力52hpのエンジンを完成させた。このエンジンは、この時代では最も優れたパワーウェイトレシオを持つものであった。この性能値を上回るエンジンは最終的にライト兄弟がライトフライヤーの飛行が成功するまで出現しなかった。マンリーのエンジンは1903年3月に納入され、エアロドロームの組立作業が続けられる中、その夏には機体に取り付けられた。その年の9月には試験飛行のためポトマック川に運搬され、10月7日に飛行試験が行われたが、派手に墜落して失敗に終わった。皮肉なことにラングレー自身もまた同様にスケールアップ問題に直面したのであった。頑丈な4分の1スケールモデルに対し、フルサイズモデルの有人型は絶望的に機体の強度がなかった。
※この「有人飛行への試み」の解説は、「マンリー・バルザーエンジン」の解説の一部です。
「有人飛行への試み」を含む「マンリー・バルザーエンジン」の記事については、「マンリー・バルザーエンジン」の概要を参照ください。
- 有人飛行への試みのページへのリンク