最高裁判所事務総長
最高裁事務総長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:51 UTC 版)
最高裁判所事務総長在任中、本間は最高裁一般規則制定諮問委員会委員(1948年8月)、少年審判規則制定諮問委員会委員(同10月)、裁判所書記制度調査委員会委員(1949年1月)、外国弁護士資格者選考委員会委員(同9月)、書記官試験委員会委員長(同12月)、少年保護司試験委員会委員長(1950年1月)、最高裁統計委員会委員(同)などを兼任した。1950年3月に三淵が定年退官した後もしばらくは事務総長に留任し、後任の長官となった田中を補佐していたが、同じ年の6月に愛知大学の林学長が病気を理由に辞意を表明すると事務総長を辞任して愛大の第2代学長兼理事長に就任した(同年12月に林前学長は死去)。
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