最初の縁談破談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 10:09 UTC 版)
円谷は幹部候補生学校に在学中、郡山自衛隊時代に知り合った女性との結婚を希望し、畠野教官に相談する。 女性は円谷より一歳年下で、円谷が19歳で郡山自衛隊に入隊した際に知り合い、円谷が一目惚れ。体育学校時代に文通し交際に発展した。ただ、東京オリンピック後、円谷の父・幸七の依頼により、体育学校関係者・円谷本人との間で、メキシコオリンピックまでは結婚をせず競技に専念する約束が交わされていた。そのため、教官の畠野は幸七を説得し、吉池体育学校長と体育学校課長に報告した。しかし、吉池校長はそれまで円谷の結婚について畠野から何の報告も受けていなかったうえ、前出のメキシコオリンピックまで結婚させないという円谷家との約束もあったため、円谷家、吉池校長、畠野、女性側との間で1966年6月7日に話合いの場がもたれた。 吉池校長は当初は結婚をメキシコオリンピック後まで延期するよう主張したが、話合いの最後には結婚を了承する。縁談が了承されたことで、円谷は幹部候補生学校卒業後の1966年末に挙式の日程で縁談の準備を進めるが、結果的に縁談は破談する。女性は後年、一方的に挙式の日程を決めるなど、縁談に前のめりになる円谷家との温度差を感じていたこと、そもそも円谷に好意を持っておらず、円谷から遠征先などから送られてきた贈り物も、その都度返送していたことを証言している。
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